通常、新規のコミュニティ開発隊員はなかなか最初活動方針が定まらず、模索を続けている。私もその一人である。
同じ島にいる先輩隊員とのミーティングの後、オフィスでの勤務の中で少しずつ、自分を知ってもらうために動き始めてみた。
任地は2013年11月のフィリピンを襲った台風ヨランダの被災地でもある。今でもNGOの寄付で建てられたバンブーハウスに住む地元民、電気のない生活をしている住民など、意外に多くてびっくりした。外国のNGOが農民向けに農具の寄付などを行っている。
その中で、任地では、9月25日から10月8日まで、すべてのバランガイ(日本でいう”自治会、町内会”)向けに、Disaster Assistance family Access Card(DAFAC) の登録のためのインタビューを行い始めた。(実際の所集計後、どういう流れにになっているのかはわからない)
30のバランガイがあるので2週間以上、関係各所は登録のためのオリエンテーション、PCへの登録、登録から漏れた住民からの苦情受付などに追われている。
私の配属先も例外ではなく、朝からたくさんの人が押しかけている。そんな中、カウンターパートからオブザーブしないかといわれ、インタビュー会場のドームへ出かけた。
現地はタガログ語ではなくフィリピンの現地語の中でも発音が難しいといわれるアクラノ語。
当然、私はアシスタントで終わると思っていたが、カウンターパートから英語でもいいのでインタビューをしてくれと言われ、インタビューを始めてしまった。
相手は地元の農民や主婦、ドライバーや高齢者、PWDなどである。年齢、学歴、職業、家族構成、収入、持ち家かどうか、ヨランダ後どんな支援を受けたかなどを聞いていく。
当然、地元の農民に日本語なまりの英語は通じるわけもなく、しょうがなく、両サイドで対応している同僚のアクラノ語のフレーズをみようみまねで話し、所々、タガログ語を入れてインタビューを続けた。
住民とのインタビューは外国人だからと言って怪訝な顔をされることはなく、むしろ双方とも言葉が聞き取れなくて、怪訝(不安?)になることはときたまあったが、最後は、サラマット(ありがとうの意)と言って、インタビューを終えた。
わからない時は同僚がアシストしてくれたりしたので、本当に助かったし、質問のフレーズもタガログ語、アクラノ語で教えてくれたので、非常に勉強になった。
何十人もフィリピン人にインタビューにする中で、自然と自分の中で発音しやすいフレーズをタガログ語とアクラノ語で使い分けていた。
アクラノ語は、タガログ語や他のフィリピンの現地語で話される "la"の音が、"ea" (ガ)という半母音に変わる。これが、アクラノ語の聞き取りが難しい理由のひとつと思う。
ただ、約2週間このインタビューを続けてきて、何よりも私にとっての収穫は地元民の生活レベル、収入、学歴、などをこのインタビューを通して知ることができたことである。
英語ではなく現地語で話す方が彼らとの距離も近づくし、いろいろなことを知ることができると思う。
彼らの生活は収入から見ると決して豊かではないことも十分理解できた。
(でもフィリピン人はなんとか楽しく生きているように見えた。)
活動は引き続き、模索中だがこのインタビューは私にとって一つの大きなステップになったと思う。
現地はタガログ語ではなくフィリピンの現地語の中でも発音が難しいといわれるアクラノ語。
当然、私はアシスタントで終わると思っていたが、カウンターパートから英語でもいいのでインタビューをしてくれと言われ、インタビューを始めてしまった。
相手は地元の農民や主婦、ドライバーや高齢者、PWDなどである。年齢、学歴、職業、家族構成、収入、持ち家かどうか、ヨランダ後どんな支援を受けたかなどを聞いていく。
当然、地元の農民に日本語なまりの英語は通じるわけもなく、しょうがなく、両サイドで対応している同僚のアクラノ語のフレーズをみようみまねで話し、所々、タガログ語を入れてインタビューを続けた。
住民とのインタビューは外国人だからと言って怪訝な顔をされることはなく、むしろ双方とも言葉が聞き取れなくて、怪訝(不安?)になることはときたまあったが、最後は、サラマット(ありがとうの意)と言って、インタビューを終えた。
わからない時は同僚がアシストしてくれたりしたので、本当に助かったし、質問のフレーズもタガログ語、アクラノ語で教えてくれたので、非常に勉強になった。
何十人もフィリピン人にインタビューにする中で、自然と自分の中で発音しやすいフレーズをタガログ語とアクラノ語で使い分けていた。
アクラノ語は、タガログ語や他のフィリピンの現地語で話される "la"の音が、"ea" (ガ)という半母音に変わる。これが、アクラノ語の聞き取りが難しい理由のひとつと思う。
ただ、約2週間このインタビューを続けてきて、何よりも私にとっての収穫は地元民の生活レベル、収入、学歴、などをこのインタビューを通して知ることができたことである。
英語ではなく現地語で話す方が彼らとの距離も近づくし、いろいろなことを知ることができると思う。
彼らの生活は収入から見ると決して豊かではないことも十分理解できた。
(でもフィリピン人はなんとか楽しく生きているように見えた。)
活動は引き続き、模索中だがこのインタビューは私にとって一つの大きなステップになったと思う。
photo1
photo2
photo1, photo2 インタビューの様子
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