Sunday, July 31, 2016

配属先で感じているストレス

赴任して1年が経過した。

日本の会社員時代が長かったから、毎日オフィスに行くのが当たり前と思い、とりあえず毎日月曜から金曜までオフィスに行き続けた。

だが、日本の職場環境とは大きく違う、フィリピンのど田舎の町役場、それも社会開発福祉事務所。

障害者高齢者にやさしい(?)、町役場の入り口入ってすぐ左の事務所。Tの字型のオフィス。

入り口付近はTの横棒、奥は縦棒のイメージだ。

私はその縦棒の奥の席だ。

背後にはPCがあり、ボスの席もある。そして、ボスの席の上にはエアコン。

私の前には、障害者のコンピュータ技術者。

そして斜め前にはトイレ。

私の机は、竹でできたバランスの悪い机。ボランティアが来たから無理やりデコッた感あり。

引き出しにはねずみの糞、そして、引き出しをあけたら実際ねずみに遭遇した過去もある。

机の右側は、窓がある。

役場の窓は雨漏り防止とかそういう基本的な機能にかけているので、大雨が降れば、水がしたたり落ちる。

PC作業もうかうかしてられない。

うっかりすると、PCがダメになる。

そして、甘い食べかすにつられる蟻たちの行進。

ネズミや、トカゲの糞。

ハエや蚊との遭遇。

挙句の果て、同僚らの子供らが、授業を終えてからオフィスに来て、騒ぐ。

PCを開いてゲームをしようとしたり、ぎゃあぎゃあ騒ぐ。

大人たちは子供に甘いのか、PCをいじっている子供を注意することはないし、むしろ、子供をかまう。

子供だけじゃない。

招かざる大人も出入りする。

同僚の旦那が朝と昼と夕方、出入りし、女たちと戯れている。他にも、オフィスに来て騒ぐ、他部署のスタッフもいる。

こういった状況にボスは何も言わない。

なぜならボスも自分の妻や子供がオフィスに来るのを喜んでいる。

新しく買ったスマフォで、溺愛する娘の写真を撮り、Facebookに投稿している。


そして大人たちはボスの席で、現地語でまくしたてて会話を楽しんでいる。

PC作業をしている私には正直うるさい。

だから、必要以上、関わらないし、時としてはイヤフォンをして音楽を聞きながら作業をするしかない。

それでも我慢できなくなったら、PCを閉じて、外に出る。


椅子も机も体に合わない。

だから、赴任して1年、他の要因もあって、腰痛を発症した。


だましだまし、やってきたが、心と体は正直だ。


ストレスは時として体の弱い部分に影響を与える。

それが私の弱っていた腰に直撃…

この後、病院通いをしたのはゆうまでもない。













Sunday, July 24, 2016

NDPR week in Banga

NDPR とは“National Disability Prevention  and Rehabilitation Week”の略である。

毎年フィリピンで7月の第1週ごろに行われる。

町役場、学校、企業等で啓発運動やイベントなどを行っている。

今年は、パレードをして、各セクションから障害者の権利などについてのプレゼンテーションを受けた。

障害者やその家族から専門家への質問や要望などもあり、なかなか活発な感じであった。




ちなみに、この時の私は腰痛発症してからの療養中だったので、おとなしめに参加した。


それにしても障害児・障害者とその家族の多さに驚かされる。





Saturday, July 23, 2016

Aeaw Aeaw (アガウアガウ) in 2015

このタイトルで記事を書こうとずっと思っていたのだが、なかなか考えがまとまらず、半年以上が経った。

そしてようやく最近、自分の中で一つの区切りができたので、ブログに残したいと思う。

Aeaw Aeaw と書いて、「アガウアガウ」と発音する。現地語アクラノ語で、「歓迎」、Welcomeを意味する。

毎年、10月21日、任地Bangaでは、「アガウアガウ」のセレモニーをここ6年ほど行っている。

私も赴任早々、アガウアガウのディレクターや発起人である地元民から声をかけられた。

そもそも、アガウアガウというものは何なのか?

任地バンガ(Banga)は、第2次世界大戦中、日本軍統治時代の1942年10月21日(1943年説もある)に、バンガのロトンダ(町のシンボルで交差点)で住民が300人以上、日本軍に殺された町なのである。

アガウアガウは現地語で「歓迎」という意味で、当時のバンガの住民は日本軍が来るということで歓迎しようとしたらしいのだが、その意に反して虐殺されたとのこと。

唯一の生存者のエドガーさんという方にもお会いした。

虐殺という暗い過去に誰も口を閉ざし、そのまま50年以上が経過し、歴史が忘れ去られそうになったとき、後世に歴史を伝えるということ、日本とフィリピンは友好関係にあるという意味も込めて、6年くらい前から、町を挙げて、毎年10月21日にアガウアガウというイベントを始めたとのことである。

ロトンダでの行進や、当時の様子を生徒たちが劇をしたりしている。

虐殺が行われたロトンダ



生徒達による当時の様子のパフォーマンス



犠牲者の慰霊碑


アガウアガウのフライヤー


私も昨年、アクラン州の他のJICAボランティアと共に日本人として招待され、観覧させてもらった。

終わった後は、周りから感想を求められたが、正直どう答えていいのかわからなかった。なぜなら当時、私は、バンガにいる唯一の日本人ということもあり、歴史をしったことで住民に対する恐怖心が時々芽生えてしまっていたからだ。。

ただ、7月にイロイロ市のNGO LOOBさんの、WWⅡスタディツアーに参加させてもらった際、私は任地バンガのアガウアガウについて発表させてもらう機会をいただいた。

発表のため、改めて聞き取りをしたり、リサーチをしたりして、バンガの歴史を学ぶことができた。

また、当時のバンガを含めたアクラン州の人々の生活、習慣なども知ることができ、今までとは違った視点でバンガとその人々たちを見るきっかけになった。

毎日のように通っているマーケットでは、現地語で挨拶して冗談を言ったり、ジープの運ちゃんからは、遠くから、おーいと声をかけられたり…

フィリピン人は、名前を知らなくても顔見知りでもそうでもなくても、笑顔でにこっと笑ったり…

それは任地バンガも同じである…