Sunday, December 25, 2016

後任要請~この配属先に必要なのか?!

フィリピン人というのは実はあまり計画性がない国民のような気がしてならない。


思い付きでいろいろ言ってきたリするのは、アメリカ人みたいだなと思うけど、

それよりももっとひどいかな。


ボランティアの期待値と配属先の上司やCPの考えていることってなかなか、合わない。

私の英語力が低いのか、配属先の英語の理解力が低いのか。

それとも私が現地語を話さないといけないのか???

悩んだりした。



現地語は聞けても発音が難しいので、細かいニュアンスを伝えるのは難しい。

そもそも現地語の会話を聞いていると、英語や日本語ほどの深みとか細かいニュアンスとか

なさそうなのだ。


配属先のボスと後任について話したことはなかったが、先にJICAから連絡がきたようで、私に知らせずに要請内容のドラフトを作っていたことがわかった。

なぜわかったかというと、調整員から電話がかかってきたからだ。

後任の要請の内容、ちょっと検討してほしいんですけど…と。


ボスは障害者支援に関してはアクセシビリティにしか、あまり考えていないように見受けられた。

タウンホールの入り口、ドームの入り口のスロープなど、ぱっと見でわかるのがいいのかもしれない。

障害者のエンパワーメントとか、コミュニティへの啓発などはどうしていいのかわからない。

むしろ、先送りにしている感が感じられた。


そういったふうにボランティアの私が感じているのは、当初の後任要請の内容が

アクセシビリティの監査ができる男のソーシャルワーカーなどというものだったからだ。

アクセシビリティの監査は建築などの知識がないとできないし、日本に男性のソーシャルワーカーなどは本当に少ないと思われる。

※私自身日本での社会福祉関係のバックグラウンドがないので、あくまでも憶測である。


明らかにボランティアと配属先とのコミュニケーション不足だと思うようなこの結果…失笑


調整員さんから、もう一度一緒に話合ってくださいと念押しされたので、

急きょ、関係者を交えてミーティング。


バランガイ訪問で集めたデータの問題点や課題などもあり、結構長丁場のミーティングになった。

ボランティアの視点で私もいろいろ意見を言わせていただいた。


そのあと、障害者のリーダーやボスなどと私抜きで話合いをしたようだ。

その結果、バランガイの障害者団体の設立のサポートをするボランティアを私の後任として考えあげたようだ。

新しい障害者のリーダーが若手ということもあり、彼と一緒に動ける男性でコミュニティに入って活動した経験のある人が望ましいなどという話も出てきた。

私の活動は、メインはやはりデータプロファイリングだなと再度自覚したミーティングでもあった。


それにしても、配属先との意見調整は本当に難しい。

そう実感した出来事だった。

Sunday, December 18, 2016

黒魔術の島~シキホール島

ネグロス島滞在中、シキホール島へ日帰りで出かけてきた。

ドゥマゲッテイから船で1時間半。

シキホール島には現在、4人ほどの隊員がおり、私の訪問時には観光隊員が、同僚とともに案内してくれた。


シキホール島の見どころを押さえた楽しくスリリングな旅となった。



シキホール島は観光地だけに小さい島ながらパナイ島より道が整備されているし、欧米人の観光客のバイクとすれ違うことが多かった。

海も本当にきれいで、次回はダイビングをしにきたいなぁ☆と思ったほど。


黒魔術のボロボロを初体験。なんだか不思議な感じ。

ヒーラーさんは男性だったが、温和かつ神秘的な雰囲気を醸し出していた。


フィッシュスパでは小さい魚や大きい魚に足をつつかれ、不思議な感じ。

大きい魚はゴリゴリ来るのでちょっと皮膚が赤くなってしまったけど…


滝ではターザンのように飛び込む観光客を尻目に写真をパチリ。


お昼は海藻の酢の物のおかずを見つけたので食べてみた。


そして海岸保全のためのマングローブ。



古い教会も赴きがあり、やはりここはカトリックの国なんだなぁと改めて実感。


ちなみに人々の顔つきが浅黒いけど任地のアクラノンと若干違う。

黒魔術の島だけに、町でおばちゃんに会うたび、魔術師に見えてしまった。。(笑) 


魔術師のおじさん。温和で無口な感じ。

Fish Spa


滝。石灰があるので乳白色らしい。

お決まりのポーズ



Monday, December 12, 2016

ネグロスの離島でYoga Retreat ♪ (後編)


バコロドのホテルで待ち合わせにも間に合い、なんとか参加者や企画者らと合流。


案内されたバン(ワゴン車)に乗ると、フィリピン人数名と欧米人が数名。

うーん、やっぱり参加者は欧米人が多いのかな??

確かにマニラにあるヨガスタジオの企画だから、普通のフィリピン人は来ない。

マニラのような都会暮らしをしている人々が癒しを求め、参加したのだろうと…

いろいろな思いが巡ったが、参加者のフレンドリーさのおかげにすぐにいろいろ話をすることができた。

参加者は、アメリカ人、フィリピン系アメリカ人、タイ人、フランス人、ノルウェー人、スウェーデン人、アッパー層のフィリピン人、そして日本人の私、総勢18名。


参加者のバックグラウンドもかなりすごい、大使館関係者、弁護士、警察官などなど…

フィリピン人で参加してきた人達もヨガのインストラクターだったり、サーファーだったり、アーティストだったり…

もちろん共通語は英語。久々の英語…(笑)



ヨガはパワー系のヨガとメディテーションが中心。

朝日を待ちながらビーチで毎朝30分程度の瞑想をする。

そのあとは、パワーヨガで体を目覚めさせる。

食事は肉を使わないヘルシーな料理。フィリピン系からウェスタン系まで、毎食いろいろな食事をいただくことができた。

フリータイムはシュノーケリング、カヤッキング、ウォーキングなどなど…

もちろん、お昼寝もある。

それぞれが自然を満喫しながらすごしていた。




ダンジュガン島は遠浅の海が続く、波も非常に穏やか。

ラグーンもあり、そこへもカヤックで行くことができた。




ダイブマスターの女の子による海についてのレクチャー、

瞑想のヨガの先生によるレクチャー。

そして参加者との様々な会話…


一番感動したのは、最終日4日目の朝のシュノーケリング。

予定にはなかったが、参加者の希望で急きょ、船を出してダイブスポットでシュノーケリング。

朝だったので海もクリアで、たくさんのカラフルな魚やサンゴと出会えた。

雨が降って寒かったけど…

シュノーケリングでダイブはしたことなかったけど、この時、初めて、トライしてみた。

勢いを付けて、潜る。2、3メートルが限界だけど、それでもニモに近づけただけでうれしい(^^♪


潜る前、

耳抜き、ちゃんとやって、潜ってから上がってくるときは急に上がってきちゃダメだからねと

フィリピン系アメリカ人のルームメイトにアドバイスされた。

ダイビングもやるという彼女の気の利いたアドバイス。

助かった~


そして国際色豊かなフレンドリーで楽しい参加者のとの出会いは忘れられない思い出になりそうです♪



朝のメディテーション準備。


島の地図



ご飯。実物はもっとおいしい!




夕暮れ時、一刻一刻が美しくシャッターを思わず切ってしまう。


島のアート作品は彼によるものだそう。




ハイチーズ!



Sunday, December 11, 2016

ネグロスの離島でYoga Retreat ♪ (前編)


フィリピンに来てからずっとやりたいと思っていたこと。

それはヨガリトリートに参加すること。

日本にいたとき、バリやインドやタイへのヨガリトリートが気になっていたけど、何せ高い!

だからフィリピンにいる間に近場の国で行けたらな~ってずっと考えていた。

フィリピンはまだ日本ほどのヨガブームではないし、フィリピンでヨガリトリートってそもそもあるのか?!ってずっと思っていた。

だから任国外旅行のインドネシアとかでリトリートかな~と考えていたころ、

ネットで見つけてしまった!!!


フィリピンのヨガスタジオが企画したリトリート。それも隣のネグロス島。

日程も行けそう!

ってことで早速申し込みをして、行ってきました。

  • 期間は11月26日~29日 (4日間)
  • 場所はネグロス島の離島、ダンジュカン島 (DANJUGAN ISLAND)
  • 費用は早期申し込みで,12500ペソ 
  レッスン代、食事、宿泊費、環境税、島の備品貸し出し無料、
        Bacolodからの車の送迎込み

       ほぼ1ヶ月分の生活費がリトリートの費用というお高めなツアー。
 
ちなみにダンジュガン島は、ネグロス島隊員も知らなかった。

周りのフィリピン人もあまり知らない隠れ家的離島であることが判明した。(笑)







パナイ島バンガからネグロス島バコロドに向けて出発した11月25日は、

くしくもフィリピンに熱帯低気圧が押し寄せてきた日。


イロイロ(パナイ島)までなんとかバスで行けたものの、

バコロド(ネグロス島)までの船が全便欠航。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン


イロイロ在住のSVさん宅に1泊お世話になり、翌日早朝の船でバコロドにたどり着き、参加者らと合流できた!



~リトリートの様子は後編へ続く~


Friday, December 9, 2016

タイでの在外研修

11月、同期のタイ隊員が企画したタイでの在外研修にボスとともに参加してきた。

研修期間は3日間。

テーマは、【アジア諸国における高齢者問題問題について考える】

参加国は8か国(タイ、ベトナム、フィリピン、インドネシア、東ティモール、ミャンマー、カンボジア、スリランカ)。

参加者は約44名。

テーマが自分の活動内容である障害者支援とはちがうけれども、町で障害者とされる人は40%くらいが60歳以上の高齢者であることもあり、参加することができた。

JICAボランティアが企画する在外研修は、ボランティアだけではなく、配属先の同僚(CPや上司など、ここでは総じてパートナーと呼ぶ)との参加が条件となる。

年明けから約1年かけて準備を進めてきた。

発表内容をまとめるための高齢の障害者のデータ収集や、法律や条例、高齢者団体の役割や活動を調べたりと…

ボスが障害者ということもあり、飛行機、ホテルの使用について打ち合わせたり、それはそれで
私としては、学びの多いものだった。

研修内容は本当に内容が濃かった。

日本でも社会福祉や医療系の職種についていたわけではないので、日本の高齢者に関する情報は、私にとっても意義のある情報だったし、学びも大きかった。

各国の発表もボランティアとCPが協力し合って、頑張って英語で発表しているところは、すごいなと思った。

(※フィリピンは公用語が英語なので、他国に比べ有利…)

  • 各国の発表を聞いてみて、気づいたことは以下の通り。

  • フィリピンと東ティモールが意外に似ていたり(宗教がカトリックなのと家屋が似ている)、

  • ASEAN諸国一の高齢化の国であるタイは日本に本当によく似ている。

  • スリランカは意外に高齢者ケアがフィリピンより進んでいそうだ。

  • カンボジアとミャンマーは、フィリピンより、高齢者の状況が過酷そう。

いずれにせよ、現場の人たちの生の声を聴き、シェアできたことは本当によかった。


また、ボスはこの研修を本当に楽しみにしていた。高齢化社会にはまだほど遠いフィリピン(平均寿命68歳、平均国民年齢23歳)では、高齢化社会のイメージがつきにくい。

ちなみにフィリピンは国として母子保健に力を入れている。

ボスはコミュニティにおける障害者と高齢者の問題は共通するものがあると考えていたので、タイでの研修を通して学んだや考えたことは、今後町のために生かされるだろうと思っていた。

また、LTOPという高齢者施設の見学や高齢者宅を訪問していろいろお話を聞く機会を得られた。

例えば、タイの高齢者の年金の金額はフィリピンより圧倒的に多いとか、フィリピンは60歳以上の高齢者は Senior Citizen ID(高齢者ID)をもつが、タイには高齢者IDがないなど…。

タイではボランティアが独居の高齢者宅にお宅訪問するが、フィリピンでは基本的に家族や親戚が面倒見るなど…


一番面白かったのは3日目のワークショッップ。

私たちのグループはフィリピン、ベトナム、タイ。CPの職種もドクター、看護師、ソーシャルワーカーとかバラバラ。

フィリピン以外は英語が苦手ということでなかなかCPが直接意見を言ってくれなかったりすることもあったけど、それはボランティアがうまくサポートトして、各国の意見をうま~く引き出してくれたように思う。


ちなみに、このグループワーク、共通言語が日本語だったり英語だったりする面白いグループワークだった。

発表よりもむしろ過程が大変興味深かった。

たとえば、住居は東南アジアの国々は高床式が多いけれど、実は高さが国によって違ったり
(タイは結構高いが、フィリピンは低め)

独居の老人に対してはトータルケアシステムを適用すればいい(タイ)

家族が朝ご飯を作って出かければいいとか(フィリピン)


歩けない人には、台車を作ってあげればいいとか(ベトナム)…

斬新だと思われるアイディアもあれば、国は違えど同じアイディアもあって、なんだかとっても気づきや発見の多いグループワークだった。

グループ内で英語が一番できるボスは、時として他の人の意見を聞かず、スマホをいじりだしたりすることもあったので、なるべく、参加してもらうよう、他の人の意見を意訳して伝えたりした。

同僚を海外の研修に連れていけることはなかなか珍しい。

その中でも私は偶然、他国の同期隊員に声をかけてもらい、ボスとともに参加することができた。

ボスも嬉しそうだったし、何よりも前よりも自信が持ち、やる気に満ちているように見えた。

これには私もボランティアとしてこの配属先に派遣された任務を一つ完了することができたような充実感を得られたかな…



グループワークの発表


修了証をもらうボス(左)

参加者全員


Sunday, October 2, 2016

パナイ島アンティケ州巡り

パナイ島は4つの州から成り立っている。

私の住む地域はアクラン州(Aklan Province)。

そして、アクラン州の西側にある細長い州がアンティケ州(Antique Province)。

細長い州に現在JOCVが5名派遣されている。(2016年9月現在)

それもすべて女性隊員という…







アンティケ隊員は職種もバラバラだけど、女性の先輩隊員を中心に仲がよさげでうらやましい限り。

このたび3日間かけて、アクラン州カリボからアンティケ州のサンホセまで行ってみた。


まず1番目、アンティケ州セバステで野菜栽培の後輩隊員Hの任地に降り立つ。

オフィスを見せてもらって、町の周りを歩いて、海を見て…

お昼は後輩隊員のホームステイ先でごちそうになる。

ほぼ3食ホームステイ先でお世話になっている彼女。

セバステの印象は、小さい海沿いの田舎町。

市場も小さいし、毎日ではないらしい。

でも人々はシャイで人懐っこそうな感じで、私の任地とはまた違う雰囲気。


セバステの海

タウンホールの前

ちょっと歩くとこんな感じの道が続く


2番目は、パトノンゴン。
防災災害対策の同期隊員Fの任地。

アンティケ州は細長い。セバステから車で2時間半くらい南下したところにある。

古い市庁舎があったり、なかなか赴きがある。

タウンホールを案内してもらい、海もみせてもらった。

ここで1泊させてもらったが、ホームステイをしている同期隊員の家が本当に豪華。

お手伝いさんもいて、3食ほぼホームステイ先でいただいているという。

夕ご飯のあとは、ホストファミリーとテレビを観ながら、現地語の勉強をしている同期。

すごいわ。

それにしても、任地で一人暮らしで自炊して、手洗いの洗濯をしている私からしたら、かなりうらやましい生活。

でも自分で食糧を買ったりしないから、市場の相場は知らないそうだ。

うーん。私は無理かな (笑)


タウンホールの中にある公園

タウンホールの紋章

タウンホール敷地内のスポーツコンプレックス



3番目はサンホセ(2人)

パトノンゴンで1泊した後、隣町の州都であるサンホセへ移動。

サンホセには現在2人隊員がいる。

職種は野菜栽培と食品加工。オフィスを訪問しておしゃべりしたり、お昼を一緒に食べた。

サンホセの印象はカリボより小さいかなー。

でもロビンソンがあったりするし、日本食レストランもある。
※訪問した9月現在、カリボには日本食レストランはなかったが、その後できた。

空港がないのでサンホセの隊員は、マニラに上がるときはイロイロ空港まで2~3時間かけて移動しなければならない。

※カリボは空港があるので、任地から1時間以内で着ける。



サンホセのおしゃれなカフェ

サンホセのタウンホール前



最後4番目はシバロム

環境教育の先輩隊員Iさんの地。町と隊員の活動がうまくコラボしているのか、町にゴミが少なくきれいと聞いていたが、その通りだった。

先輩隊員は、ごみをポイ捨てしている町の人を注意する勇気ある人。

コンポストやごみの仕分けで工夫した点などをみせてもらった。

そして、このシバロムの先輩の家にお世話になった。ホームステイだけど、独立したキッチンやバスルームがあるので一人暮らしみたいだ。

ホームステイの家自体もここも豪華。そしてホストファミリーは水屋さん(飲料水を作って売っている)なので、水を買う心配がない。

ここも箱入り度が高いなという印象。

ちなみにこの先輩隊員Iさん、すごく料理上手。おいしい夕食をごちそうになった。


次の日もおなかいっぱいのブランチをいただき、アンティケ州からアクラン州に戻った。

シバロム ゴミ分別


シバロム

シバロム観光スポット


賞味2泊3日。

でもアンティケ州の隊員の任地と活動が見れて楽しかった。

バス5時間の旅も、海沿いを走るので、飽きず、そして、腰痛も発症することなく

帰途につけたことには感謝しよう♪

Thursday, September 1, 2016

サマカナ in Kalibo


2016年の8月6日と9日に州都カリボの学校にて、JICAボランティアたちによる
イベントを行ってきた。

州都カリボの隊員の企画。

私は、隣町の同期隊員ということで、両日参加した。


1日目の8月6日は子供向け。JICAボランティア有志が集まり、ボーイスカウト、ガールスカウトの子どもたちと一緒に折り紙、習字など日本文化のアクティビティをしたり、防災、平和、環境、衛生について学んでみるといった企画だ。

日本では普通の会社員をしていたのであまり子どもたちと触れ合う機会がなかったけど、ここフィリピンでは子どもが多いこともあり、触れ合う機会が格段に増えた。

それと子供たちのお行儀のよさというか、教育によって飼いならされているといった光景もここフィリピンでは感じる。
「飼いならされている」という表現はいささかあまりよろしくないかもしれないけど、他に言葉が見つからないので、あえてここではそう表現する。

例えば来客がくれば、全員で声をそろえて、「Good Morning, Ms. ○○」とあいさつする。

日本ではあんまりないんじゃないかな。

全員で声をそろえて挨拶はするけど、みんなが最初から最後までお行儀がいいわけでもない。そこはフィリピンらしい。

私は一緒に折り紙を作ったりした。得意な子もいれば、そうでない子もいる。






2日目の8月9日は、大人向けでLGU関係者。私は、CPと一緒にバンガ町での障害者支援活動についての取り組みについて発表した。

企画者に活動について発表してほしい。CPも連れてきていいと打診があり、準備してきた。

活動の一部はCPの方がよく理解しているし、質問攻撃を食らった時に備えて(笑)。

もちろん、CPにもたくさんのボランティアたちに会わせてあげたいし、イベントの中身である日本文化体験もしてもらいたいからだ。

当日彼女は初めて習字を体験し、浴衣も着れ、沖縄の踊りも見よう見まねで踊って楽しそうだった。





Saturday, August 20, 2016

バランガイ訪問


ボランティアの主な活動、それはバランガイ訪問による障害者へのインタビューと生活実態調査。


ボランティアの要請は障害者データのプロファイリング(データ収集と分析)だった。

それにもとづいて、8月現在まで相当数のバランガイへ赴き、障害者へのインタビューを行ってきた。


そもそも社会開発事務所で障害者に関するデータを管理をしているが、そのデータの正確性については、なんとも言えない。

データ収集したのが2012年。それから変わりがないわけがない。


だから私は上司にバランガイに赴いて、一軒一軒障害者のインタビューをしたい、それを活動のメインにしたいと申し出た。

バランガイにボランティアが赴けば、そのバランガイの様子もわかる。

最初は難色を示していたボスも、オフィスにくる障害者と保存してあるデータの不一致、各バランガイキャプティンからのいろいろな申し出などから、その必要性をなんとくなく理解し始めたようである。

フィリピンという国は日本に比べ、データ集計など細かいところは苦手な気がする。
国民の算数能力なども日本に比べ低い・・・


バランガイに出て感じたこと…

想像以上にタガログ語も英語も通じない。アクラノ語オンリー。

そして、排除されている障害者の発見。

ボランティアに対する寄付品への期待度の高さ…

確かに物で釣っている感は同僚の説明にも垣間見られる。


台風ヨランダ(別名;ハイアン、2013年11月に次上陸)の被災地でもあるから、多くのNGOや外国政府の援助が入っているのも事実。

ほとんどの家は台風で家が全壊、もしくは半壊。だから、屋根だけ、トタンという家にもたくさんであった。


そして台風により身体的精神的にダメージを被った人達は、障害者となったりもしている。

障害者やその家族のニーズも様々である。


訪問すればするほど、いろいろな問題が出てくる。

ボランティア一人では太刀打ちできない問題ばかり…


うーむ、どうしようか・・・・



Saturday, August 13, 2016

任地でようやく見つけたヨガクラス

任地はフィリピンの田舎町。

バンガにはもちん、州都カリボにもヨガクラスはないものだと思っていた。

日本にいたときはヨガスタジオに通って定期的にヨガをしていた。

それがフィリピンに来てからは、自宅で、YouTubeをみながら、やるという環境…

スタジオでやる参加者との一体感や、インストラクターのガイドを生で聞けないのは非常に残念だった。

おまけにこの田舎には、ヨガをやる人もいないし、ヨガマットも売っていない。


暑い気候のせいか、外を走る人はほとんどいない。

もっぱら、生徒たちがダンスの練習をしたり、少年たちがバスケをしているくらいだ。

大人になると運動はしなくなるみたいだ。


田舎にいると確実に筋力、体力が落ち、ぜい肉になる…

食生活もそう。

野菜を食べないフィリピン人。白いご飯と肉を好んで食べる。

そして甘い食べ物、飲み物。

1年のフィリピンの生活で、自分なりに気を付けていても、確実に体に変化は現れていた。

それが前回書いた、腰痛発症。


ドクターにもヨガをやりたいと伝えたら、同じクリニックのドクターがヨガのインストラクターをしていると教えてもらった。


そして腰痛がほぼ完治して、予定が空いた日。


「初ヨガ IN フィリピン」を体験してきた。

場所はクリニックの最上階のホール。吹き抜けになっているところだが、クーラーなどない。

フロアーにマットを敷いて、インストラクターを囲んでヨガをする。

私以外はフィリピン人。

驚いたのは、フィリピン人の参加者達は、水を飲まずにヨガを続けていた。

私だけがウォーターボトルをマットのそばに置いてヨガをしていた。

暑いせいもあって、ペースが速い。

そして、意外に運動量の多いポーズが多い。

英語でのガイドだから、ついていくのには問題はなかった。

でも久しぶりのクラス。

所々、遅れをとったり、できなかったり…

でも体を思いっきり伸ばして気持ちよかった。


腰痛の原因は姿勢や生活スタイルにもある。

1年でだいぶ衰えた体に、また再びカツを入れよう。

そして、やっぱりヨガは気持ちがいい。

元々体が硬いし、今も股関節や足首の関節は硬い。

でも続けることによって柔らかくなった関節や筋肉もある。

やっぱり、いくつになっても運動は大切。。。

熱帯フィリピンでは限られてくるけど、とりあえず、できるところまでやろうと思った。


クラスの終わりはみんなで記念写真。
フィリピンらしい(^^♪

Saturday, August 6, 2016

フィリピン初病院受診~腰痛との闘い~


日本からフィリピンに戻ってきて1週間後、とりあえず、また任地に慣れようとしていたところ、

ある日、腰に痛みを感じるようになった。多少の痛みは筋肉痛の可能性もあるので、あまり重要視していなかったのだが、今回は痛みが違った。

打ち合わせで椅子に座っていると、辛くなってくる。長時間座っていられない。

お尻の奥の筋肉か骨か、腰椎か神経かわかんないけど、痛むようになってきた。

 ストレッチで治るだろうとたかをくくっていましたが、2週間経ってもよくならず、職場にいくと、CPからお金をせびられる(※)という嫌悪感からかストレスが最大限となり、ついに健康管理員に相談した。

※CPはドラ息子が交通事故に遭い、入院中。入院費用や薬代を親族や同僚から調達していたようだ。ボランティアである私もターゲットとなり、合計3回位、頼まれたがすべて断った。

健康管理員と電話で話し、症状から任地の病院を受診するようにとの指示を受ける。

初フィリピンの病院受診。

症状からは腰椎捻挫と言われたが、納得できず、レントゲン撮りたいと伝え、撮った。

レントゲンも日本の病院みたいに丁寧ではなく、スタッフがおしゃべりやメリエンダを食べているところで一人、診察台に乗せられて、撮影するというありさま。

…ありえん…

ちなみに、レントゲン予約をしに行った時には、下剤を飲んで便を出しておくようにという指示…

もちろん健康管理員に確認の元、指示には従いませんでしたが…私の中でフィリピン人の便秘疑惑が浮き彫りになったのは言うまでもない。


レントゲン写真をもって、再びドクターのところへ受診。

レントゲン写真からは骨や椎間板には異常なしと言われ、腰痛ハンドブックを渡され、よく読んでおくようにと言われた。

筋肉弛緩剤の服用のみ言われ、ドクターからは痛みが引いたらエクササイズした方がいいといわれ、水泳を進められた、近場にプールがないのでヨガとかしたいと言ってみた。

その後、毎日腰痛に効くストレッチを続け、だいぶ良くなった。

徐々にコアマッスルを鍛えるトレーニングとかも取り入れつつ…





だけど、病院受診から2週間後、イロイロ市までバス4時間の移動で腰痛再発…

イロイロ市から帰宅後は風邪も発症し、療養。





そしてその1週間後には中間報告でマニラに上がった。

腰に注意しながら、移動し、無事マニラに着いたわけだが、不思議と腰痛が治っていた…

任地ストレスだったようである。


レントゲン写真。データではなくフィルムなのがフィリピンの田舎の病院らしい。


筋肉弛緩剤


日本から持ってきた湿布と、こっちで買ったサロンパス(※久光のではなく、韓国メーカーのものだった)



レントゲン室

フィリピンの病院は日本とだいぶ違う。ドクターごとに部屋があり、直接、ドアの前の秘書に内容を伝える感じ。

Sunday, July 31, 2016

配属先で感じているストレス

赴任して1年が経過した。

日本の会社員時代が長かったから、毎日オフィスに行くのが当たり前と思い、とりあえず毎日月曜から金曜までオフィスに行き続けた。

だが、日本の職場環境とは大きく違う、フィリピンのど田舎の町役場、それも社会開発福祉事務所。

障害者高齢者にやさしい(?)、町役場の入り口入ってすぐ左の事務所。Tの字型のオフィス。

入り口付近はTの横棒、奥は縦棒のイメージだ。

私はその縦棒の奥の席だ。

背後にはPCがあり、ボスの席もある。そして、ボスの席の上にはエアコン。

私の前には、障害者のコンピュータ技術者。

そして斜め前にはトイレ。

私の机は、竹でできたバランスの悪い机。ボランティアが来たから無理やりデコッた感あり。

引き出しにはねずみの糞、そして、引き出しをあけたら実際ねずみに遭遇した過去もある。

机の右側は、窓がある。

役場の窓は雨漏り防止とかそういう基本的な機能にかけているので、大雨が降れば、水がしたたり落ちる。

PC作業もうかうかしてられない。

うっかりすると、PCがダメになる。

そして、甘い食べかすにつられる蟻たちの行進。

ネズミや、トカゲの糞。

ハエや蚊との遭遇。

挙句の果て、同僚らの子供らが、授業を終えてからオフィスに来て、騒ぐ。

PCを開いてゲームをしようとしたり、ぎゃあぎゃあ騒ぐ。

大人たちは子供に甘いのか、PCをいじっている子供を注意することはないし、むしろ、子供をかまう。

子供だけじゃない。

招かざる大人も出入りする。

同僚の旦那が朝と昼と夕方、出入りし、女たちと戯れている。他にも、オフィスに来て騒ぐ、他部署のスタッフもいる。

こういった状況にボスは何も言わない。

なぜならボスも自分の妻や子供がオフィスに来るのを喜んでいる。

新しく買ったスマフォで、溺愛する娘の写真を撮り、Facebookに投稿している。


そして大人たちはボスの席で、現地語でまくしたてて会話を楽しんでいる。

PC作業をしている私には正直うるさい。

だから、必要以上、関わらないし、時としてはイヤフォンをして音楽を聞きながら作業をするしかない。

それでも我慢できなくなったら、PCを閉じて、外に出る。


椅子も机も体に合わない。

だから、赴任して1年、他の要因もあって、腰痛を発症した。


だましだまし、やってきたが、心と体は正直だ。


ストレスは時として体の弱い部分に影響を与える。

それが私の弱っていた腰に直撃…

この後、病院通いをしたのはゆうまでもない。













Sunday, July 24, 2016

NDPR week in Banga

NDPR とは“National Disability Prevention  and Rehabilitation Week”の略である。

毎年フィリピンで7月の第1週ごろに行われる。

町役場、学校、企業等で啓発運動やイベントなどを行っている。

今年は、パレードをして、各セクションから障害者の権利などについてのプレゼンテーションを受けた。

障害者やその家族から専門家への質問や要望などもあり、なかなか活発な感じであった。




ちなみに、この時の私は腰痛発症してからの療養中だったので、おとなしめに参加した。


それにしても障害児・障害者とその家族の多さに驚かされる。





Saturday, July 23, 2016

Aeaw Aeaw (アガウアガウ) in 2015

このタイトルで記事を書こうとずっと思っていたのだが、なかなか考えがまとまらず、半年以上が経った。

そしてようやく最近、自分の中で一つの区切りができたので、ブログに残したいと思う。

Aeaw Aeaw と書いて、「アガウアガウ」と発音する。現地語アクラノ語で、「歓迎」、Welcomeを意味する。

毎年、10月21日、任地Bangaでは、「アガウアガウ」のセレモニーをここ6年ほど行っている。

私も赴任早々、アガウアガウのディレクターや発起人である地元民から声をかけられた。

そもそも、アガウアガウというものは何なのか?

任地バンガ(Banga)は、第2次世界大戦中、日本軍統治時代の1942年10月21日(1943年説もある)に、バンガのロトンダ(町のシンボルで交差点)で住民が300人以上、日本軍に殺された町なのである。

アガウアガウは現地語で「歓迎」という意味で、当時のバンガの住民は日本軍が来るということで歓迎しようとしたらしいのだが、その意に反して虐殺されたとのこと。

唯一の生存者のエドガーさんという方にもお会いした。

虐殺という暗い過去に誰も口を閉ざし、そのまま50年以上が経過し、歴史が忘れ去られそうになったとき、後世に歴史を伝えるということ、日本とフィリピンは友好関係にあるという意味も込めて、6年くらい前から、町を挙げて、毎年10月21日にアガウアガウというイベントを始めたとのことである。

ロトンダでの行進や、当時の様子を生徒たちが劇をしたりしている。

虐殺が行われたロトンダ



生徒達による当時の様子のパフォーマンス



犠牲者の慰霊碑


アガウアガウのフライヤー


私も昨年、アクラン州の他のJICAボランティアと共に日本人として招待され、観覧させてもらった。

終わった後は、周りから感想を求められたが、正直どう答えていいのかわからなかった。なぜなら当時、私は、バンガにいる唯一の日本人ということもあり、歴史をしったことで住民に対する恐怖心が時々芽生えてしまっていたからだ。。

ただ、7月にイロイロ市のNGO LOOBさんの、WWⅡスタディツアーに参加させてもらった際、私は任地バンガのアガウアガウについて発表させてもらう機会をいただいた。

発表のため、改めて聞き取りをしたり、リサーチをしたりして、バンガの歴史を学ぶことができた。

また、当時のバンガを含めたアクラン州の人々の生活、習慣なども知ることができ、今までとは違った視点でバンガとその人々たちを見るきっかけになった。

毎日のように通っているマーケットでは、現地語で挨拶して冗談を言ったり、ジープの運ちゃんからは、遠くから、おーいと声をかけられたり…

フィリピン人は、名前を知らなくても顔見知りでもそうでもなくても、笑顔でにこっと笑ったり…

それは任地バンガも同じである…










Saturday, June 25, 2016

タイ同期隊員のバンガ訪問



二本松市の派遣前訓練で一緒だった、タイに派遣中の作業療法士の隊員Sさん(男性)が任地を訪問してくれた。

訓練所時代はコミュニティ開発の中では一人障害者支援の内容だった私は、医療系や障害者支援関係の職種の隊員からいろいろ教えてもらうことが多かった。

Sさんは訓練所時代から私の要請内容にも興味をもってくれていて、任地にも行ってみたいと言ってくれた方だ。

そして今回6月中旬のとある日、バンガに来てくれた。

Sさんのたっての希望で、バンガの町の訪問リハビリに同行した。

配属先の上司は日本人の男性作業療法士の訪問に大喜びだったし、バランガイの高齢者団体のリーダーを務める私の語学の先生も、作業療法士の話を興味津々に聞いてくれるようだった。

フィリピンは高齢者に対する支援はまだ浅く、怪我や病気を患っても、リハビリで回復を目指せるのは、お金持ちや学歴のある人が多い気がする。

(もちろん、フィリピンの田舎でも元気な高齢者の発言力は強いが…)

結果、田舎の高齢者が動けなくなると、家族や子供が面倒を見るが、リハビリまでには行きつかない。だから、意外に引きこもりや寝たきりも多い。

そんな状況の中、Sさんは計4人の高齢者または障害者に対して、リハビリをしてくれた。

リハビリ指導を受けた患者さんも最初は緊張していた様子だったけど、Sさんの励ましやアドバイス、そして体を張ったリハビリに少しずつ、よい反応を見せてくれるような様子だった。

家族もなんだかうれしそうな様子だった。

私自身は専門職ではないので、リハビリを施したりすることはできないけど、障害の程度などの簡単なチェックの仕方など、教えてもらえた。

Sさんのような人がもっと、バンガに来てくれればいいのになぁなんて…


リハビリを終えた後、みんなで写真撮影


リハビリを実施するSさん



家族も患者さんにリハビリを行ってみる。




Tuesday, June 14, 2016

日本への一時帰国

5月22日から6月9日まで、日本に一時帰国をしていた。

帰国前は、大統領選挙に伴うJICAボランティアの首都退避、それに伴う、隊員総会の実施などがあり、目まぐるしい日々だった。

一時帰国をするにあたり、マニラの移民局へ行ったりと何気にフィリピンの国外に出る手続きが面倒なのも、最近のフィリピン隊員の辛いところである。

今回の一時帰国は、家族のこと、自身の検診などに加え、友人との再会など、それなりに予定があった。

フィリピンの田舎の生活に慣れようともがいた当初は、この一時帰国をはげみになんとか、活動をしてきた。

そして、ついに日本の地へ。


歯科検診、病院検診など、体のメンテナンス。

そして、フィリピンから一時帰国をしている身もあいまって、自分が日本への旅行者のような錯覚に陥ったのは言うまでもない。

昔は当たり前のように生活して、働いていた東京も、観光客の目で見ると、また一味違って面白い。

東京だけじゃなく、新潟や山形にも出かけた。

久しぶりの温泉、生野菜サラダ、そば、ワインなどなど。

おいしいものもたくさん食べた。

普段は日本酒など飲まないけど、日本酒の利き酒をしてみたり…


前の職場の同僚や、仲良しの友達も、私の一時帰国に合わせて、合間を縫って会ってくれた。

日本で会社員をしていれば、当然知ることもないフィリピンの田舎生活に興味をもってくれたり、
驚いたり…

両親にも、実家に帰った時に、自分の活動の写真を見せたりする機会があった。



成田空港でのお出迎え

懐かしの都電

米沢の駅弁

母校の敷地






Friday, May 6, 2016

イロイロとギンバル訪問~先輩任地をCPとともに巡る~



6月末で帰ってしまう先輩が2人いる。彼らはイロイロ州でコミュニティ開発で障害者支援に携わっている。

アクラン州はイロイロ州より若干の遅れをとっている気がする。

いつもイロイロ行くたびに思う。

今回、この二人の先輩の任地をCPと一緒に訪問・視察してきた。

バンガの今後の障害者支援の活動へつながるものが得られればという思いと、あとは障害者同士の横のつながりの強化。

ボランティアがつなげることができるところはしようと、前から思っていた。

現在の活動は障害者の家庭訪問でのデータ集計だが、今後データをどう生かすかを考えるときに、どんなことができるのか、参考になればと思い…

まずはイロイロ州ギンバル町社会開発福祉事務所を訪れた。
先輩隊員Sさんが、「One by One support」というのをやっている。個別に障害児の家庭を訪問して、簡単な勉強を教えたり、リハビリをしている。

Sさんの活動は自分ががボランティアとしてできることを試行錯誤として考え結果の活動だ。

ギンバル町役場のバリアフリースロープ


ギンバル町のシンボル?ともいえる古い教会


家庭訪問で算数を教えるSさん


次はイロイロ州イロイロ市とレガネス町のADPI(NGO)を訪問。ここにはYさんという先輩が配属されている。

イロイロシティにあるメインオフィスを訪問し、ADPIの概要について説明を受ける。

JICAの支援でできたバリアフリーのトイレ、カンテーン、義足センターなどを見学した。



義足の技師のレイさん。自らも事故で障害者となった。

義足の形は石膏で型をとる




ADPIのマーク。1990年創立。



次の日はADPIの組合がある、レガネス町を訪れた。

ここのオフィス兼工房はゆったりした作りになっている。バリアフリーのユニバーサルデザインを採用しているせいだ。

車いすの利用者でもなんなく1階から2階へ移動できる。

ユニバーサルデザインのトイレ



工房では家具や学校の黒板、机などを障害者たちが作っている。

工房で作られている児童用の学校用の机と椅子

学校やオフィス用の机も受注があれば作る


私たちの訪問中、偶然にもレガネス町の障害者リーダーが訪問していた。松葉づえを使っているにも関わらず、トライシクルを運転するアクティブな人だ。

アクティブな障害者リーダー(左)

看板 ADPIのレガネス町の共同組合といったところだ。

私のCPとも話をする機会ができ、双方障害者同士のつながりを作ることに成功!したかな…