そしてようやく最近、自分の中で一つの区切りができたので、ブログに残したいと思う。
Aeaw Aeaw と書いて、「アガウアガウ」と発音する。現地語アクラノ語で、「歓迎」、Welcomeを意味する。
毎年、10月21日、任地Bangaでは、「アガウアガウ」のセレモニーをここ6年ほど行っている。
私も赴任早々、アガウアガウのディレクターや発起人である地元民から声をかけられた。
そもそも、アガウアガウというものは何なのか?
任地バンガ(Banga)は、第2次世界大戦中、日本軍統治時代の1942年10月21日(1943年説もある)に、バンガのロトンダ(町のシンボルで交差点)で住民が300人以上、日本軍に殺された町なのである。
アガウアガウは現地語で「歓迎」という意味で、当時のバンガの住民は日本軍が来るということで歓迎しようとしたらしいのだが、その意に反して虐殺されたとのこと。
唯一の生存者のエドガーさんという方にもお会いした。
虐殺という暗い過去に誰も口を閉ざし、そのまま50年以上が経過し、歴史が忘れ去られそうになったとき、後世に歴史を伝えるということ、日本とフィリピンは友好関係にあるという意味も込めて、6年くらい前から、町を挙げて、毎年10月21日にアガウアガウというイベントを始めたとのことである。
ロトンダでの行進や、当時の様子を生徒たちが劇をしたりしている。
虐殺が行われたロトンダ
生徒達による当時の様子のパフォーマンス
犠牲者の慰霊碑
アガウアガウのフライヤー
私も昨年、アクラン州の他のJICAボランティアと共に日本人として招待され、観覧させてもらった。
終わった後は、周りから感想を求められたが、正直どう答えていいのかわからなかった。なぜなら当時、私は、バンガにいる唯一の日本人ということもあり、歴史をしったことで住民に対する恐怖心が時々芽生えてしまっていたからだ。。
ただ、7月にイロイロ市のNGO LOOBさんの、WWⅡスタディツアーに参加させてもらった際、私は任地バンガのアガウアガウについて発表させてもらう機会をいただいた。
発表のため、改めて聞き取りをしたり、リサーチをしたりして、バンガの歴史を学ぶことができた。
また、当時のバンガを含めたアクラン州の人々の生活、習慣なども知ることができ、今までとは違った視点でバンガとその人々たちを見るきっかけになった。
毎日のように通っているマーケットでは、現地語で挨拶して冗談を言ったり、ジープの運ちゃんからは、遠くから、おーいと声をかけられたり…
フィリピン人は、名前を知らなくても顔見知りでもそうでもなくても、笑顔でにこっと笑ったり…
それは任地バンガも同じである…
No comments:
Post a Comment