Tuesday, November 17, 2015

ゴージャスすぎるパーティ

知り合いのフィリピン人から、友人の娘さんの18歳の誕生日パーティに誘われて、行ってきた。

フィリピンでは女性は18歳が成人になるそうなので、18歳のパーティは盛大にやるそう。

そしてこのパーティは「DEBUT」(デブーまたはデビュー)というそうだ。

パーティと聞いて、ホームパーティのイメージをしていたのだが、はるかに想像を超えたものだった。


なぜなら、主催者のお母さま(知り合いのフィリピン人の学生時代の同級生)はビジネスウーマンで、このあたりでは知らない人がいないほどの有名人。


いくつものビジネスを手掛けており、そのうちの一つとしてカリボやボラカイにホテルをもっていらしゃるとのこと。


招待客は500名。


日本でも結婚式でここまでの人数を招待するのはかなりのお金持ちか有名人じゃないかな。

そしていくら豪邸とはいえ、収容はできません。。。

ということで、州都カリボにある、大きな会場で行われた。

ここはマニラか?と思わせる豪華な会場。


ファンシーな雰囲気の会場



会場はファンシーな雰囲気に仕上げられていた



主役のお嬢様と友人家族ら。



御馳走の数々。



エビのてんぷらも出てきた。


お嬢様へのギフトの数々


パーティはオールナイトで繰り広げられ、夜中はクラブと化していた。

私は眠気の限界を感じ、夜11時頃退散…

日本ではこんなことはないので、貴重な経験をさせてもらった一夜だった。

Sunday, November 15, 2015

ダブルBirthday Party


今日、11月15日は、職場のボスと、職場の上司のお母さんの誕生日でした。

フィリピンでは、誕生日を迎えた本人がお金を出して、パーティを開きます。


日本だと、本人に家族や友達、同僚などがパーティをしてあげたり、プレゼントをあげたりするけど、フィリピンは逆。

そうホストがもてなす!


お金を持っている人ならレチョン(子豚の丸焼き)やケータリングを使って豪華な料理を振舞ったりするけど、

そこまではなかなかできないので、たいていは、家でご飯をたくさん作ったりしてお客さんを招く。


今日はまず、午前中に隣町に買い出しに出かけた後、お昼12時頃に職場の上司宅へ。

自宅から徒歩5分。

一番最初にバンガに来たときにホームステイした家だ。

子供が8人いる大家族。

今日はいとこ達や上司のお母さん(本日のホスト)や、同僚たちも来ていて、にぎやか。

私が着いた頃にはまだ料理を作っている途中で、できた順から、食べて~と言われた。

スパゲティ、

パンシット(麺)、

マノック(チキン)、

アドボ・ポーク、

ライス、

そしてケーキ!

フィリピン人はとりあえず食べるのが好き。

パーティ、フィエスタというとまず食べる。

そして飲み物なしで、ところかまわず食べる。

(私は水分がないとたくさん食べれないので水を大体持参する)

 
Photo1
主役のお母さんは緑のブラウスを着ていた。


 
photo2
ケーキは3個用意。右の緑のケーキはお初!味が気になる!

photo3
お孫さん(従妹同士)、どっちもめっちゃ可愛い♥
 
 
2時間ほど滞在した後、次の目的地へ。

この日はアクラノ語のレッスンで先生の家へ。

先生は元町役場の職員なので、私の部署の上司やボスのこともよく知っている。

先生に、今日は上司の誕生日だよって伝えたら、

行きましょう! と。

ということで上司の家へ突如、二人で押しかけちゃった。

一応アクラノ語のレッスンという名目で。

すでに何人か同僚らやその子供達が来ていた。

ここではアルコールも解禁。

ブランディーやジンを飲み始める同僚ら。

私は暑いので、水のみ。

フィリピンに来てから確実に飲まなくなった。

アクラノ語、タガログ語で繰り広げられる会話についていけず・・・

ひたすら聴く・・・

所々、英語で説明してくれたりするが、アルコールも入っているので、途中からはほとんどなくなった。

語学を覚えるには、

フィリピン人のボーイフレンド作ればとか、

あいつどう? とか

俺とかどう?とか

既婚者に言われる。(隣に妻がいても平気で言うあたりがフィリピンの男性らしい)




確かに語学の一番の上達方法は彼氏彼女を作るってことだと思っているけど・・・


ここではちょっといいかなと。。。


とりあえずフィリピンでのあいさつは、

いくつ?

シングル?

俺なんかどう?

って感じで来る。


特に外国人のおかげでお金持ちになれると思っているからか、

日本人だと、俺の日本ビザを発行してくれとか

言われる。


日本人の私からすると、フィリピン人の男性で、紳士的な男性はあまり出会ったことがない。

まあ、田舎だからしょうがない。



あーだこーだ話を聞いていたら、暗くなってきたので、退散。


先生もブランディー飲んでしまったから、今日はレッスンなしにしようって。

(そうだよねと 私も思う)



Photo 4
本日の主役(左)と奥様と娘さん


このようにフィエスタやパーティがブッキングするのもフィリピンでは日常茶飯事である。

Friday, November 6, 2015

Fiesta in Polocate

Bangaには、30のバランガイ(Barangay)がある。
 
私の家と職場は中心地のポブラシオン(poblacion)。普段の生活だけだと、ここだけで事足りるので、他の地域は、まだあまり知らない。
 
でも、たまに同僚とバースディランチで遠く離れたバランガイに行くことができる。
 
昨日は、ポロカテ(polocate)というバランガイまで行ってきた。
 
同僚のシェリーとその家族が住んでいるバランガイ。
 
いつも学校帰りに職場で時間を過ごす娘のエンジェルもそこにいた。
 
ポロカテまでの道のりは7キロほど。国道から脇道に入り舗装されていたり、砂利道だったりした道(photo1)をトライシクルで上って行く。
 
女性6人を乗せたトライシクルが
 
水たまりをよけたり、
段差で減速したり、
全力で坂を下り、
全力で坂を上ったり
 
 
キャーキャー言いながらのちょっとしたアドベンチャーだった。
 
 
 
photo1
 
 
Photo2
家の前から眺め

photo3
庭では男性らがお酒を飲んでいた。


Photo4
家の手前にあったセメントで造りかけた建物。
フィリピンはこういう造りかけが多い気がする。
 
Photo5
親戚の子かな?だんだん私に近寄ってきた。
風船もってハイチーズ!
 
Photo6
birthday cake
フィリピン人はカラフルな色が好きみたい。
 
Photo8
同僚シェリー(右)もこの日はドレスアップ
 
エンジェルもこの日は可愛いドレスを着て登場。
 
 
でも写真取り忘れちゃった(;_:)
 
 
次回にこうご期待!

Wednesday, November 4, 2015

お葬式?告別式?それとも…?


今日出社したら、ボスが珍しく、白いTシャツを着ていた。

同僚らも白いシャツやTシャツを着ていて、あれれ・・・

何かあるのかな・・・?


上司が私に言いました。

「今日は、元町長が亡くなって、そのセレモニーがホールであるからね。君も白い服に着替えておいてね。」


他の同僚も、

「後で着替えておいで~」と。


知らされてなかったんですけど・・・


1週間前に元メイヤーが亡くなったということは、フィリピン人からなんとなく聞いていた。

葬儀?セレモニーはいつやるんだろうなと思っていたら、

今日(makaron)でした。

フィリピンでは、人が亡くなると1週間位、遺体を安置しておくそう。

海外にいる親戚や友人が駆けつけられるようにと。 

さすが出稼ぎ大国フィリピン…



始まる前の様子

午後1時、白いTシャツに着替えて、会場に向かうとそこは、白いTシャツを着た役場関係者でいっぱいになっていた。

同僚らと席について、待っていると、

元知事、元町長、現町長、大学総長、政治家らが続々登場。

皆、白い上着を着ている。

フィリピンの有名なピーニャ麻で編まれたものだろう。

会場の中央には故人の遺影が大きく飾られ、 たくさんの花とともに故人の棺桶もおかれていた。
そして、棺桶の両脇には拳銃を装備した警察官が両端に立ち、遺体を見守っている。


司会者の挨拶ともにセレモニーが始まった。途中故人を偲ぶ歌を挟みつつ。。。

メインは偉い方々の故人を偲ぶスピーチ。

これが結構しんどかった。

この日は気温が30度で快晴。

吹き抜けの会場なので、皆、うちわであおぎながらの出席。


おかげでわたくし、熱中症になりかけました。。。


2時間程度でセレモニーは終了。

私たち、一般人はメリエンダ(スナックと飲み物)をもらい解散。

ご家族や偉い方々は、このあと、セメタリー(墓地)へ行くようだった。





ちなみに今日のセレモニーは

お葬式?
告別式?
故人を偲ぶ会?
それとも・・・?



どれだったんだろう?同僚に聞いても明確な回答が返ってこない。

なので、アクラノ語の先生に聞いてみた。

そしたら、これは お葬式ではなく、


「Necrological Service」(ネクロロジカルサービス) ※

というものだそう。


故人が所属または関わっていた団体ごとにサービスを行うもの。

日本でいうと、社会で活躍された人がお亡くなりになった時に、

故人を偲ぶ会みたいなものを開くことがあると思う。

それに近いもの。

ただし、フィリピンでは、団体ごとに行うので、いろんな所で活躍されていた故人であれば、州や町役場等、複数個所で行われるらしい。

 

セレモニーの最中は、服装も白い物を着ていればいいので、皆、下はジーンズやサンダルだった。


子供達がときどき、走り回ったり、野良犬が会場の真ん中にふらったと来たり、 

やっぱり

The Philippine!

と感じてしまった。



本日のBanga

Livelihood Project 視察

昨年からBangaの町で行われている Livelihood Project(生計向上プロジェクト)にようやく参加することができた。





Bangaに赴任してから、PWD(Persons with Disability, 障がい者)の人たちの最終的なゴールとして、自分たちでお金を得るということができればいいなとなんとなく青写真を描いていた。
もちろん、私は新規のコミュニティ開発隊員。
2年の間にそこまでいくつかはわからない。ただ、どういったものか見ておく必要はあると思った。

それに、フィリピンの進んだ町ではすでにこういったプロジェクトが行われているようだったので
取り入れやすいのではないかと思った。

職場の同僚に聞いたら、行っているとのこと。でも日程はまだ決まっていないから、決まったら教えるねと言われていた。

それで、ずっと待っていたのが、ヨランダ被災者へのインタビュー実施などで遅れてしまい、このたび、予定日より一か月遅れて開催することになった。

当日は職場の同僚がファシリテーターをし、州の貿易産業省のスタッフとデザイナーがイニシアティブを取り、トレーニングを進めていた。


以下2日間の内容を記す。

11月3日/1日目
 パグサンハンというバランガイの女性向けにブリー(Buri)を使った製品のアドバンストレーニング。 パグサンハンはバンガの中心地からバイクで15分位のところ。道は農道で、人々は主に農業で生計を立てている。この地域はブリ―がよくとれるとのことである。






同じバランガイの女性だけの集まりということもあり、年長者のリーダー格の女性を中心にまとまっている印象を受けた。



11月4日/2日目
ポブラシオン、リナブアン スルなど複数のバランガイの女性と、PDAOリーダー(Bangaの障がい者組織のリーダー)、MDRRMO(災害危機管理事務所)のスタッフ、女性警察官などが参加し、バンブー(竹)を使った作品のトレーニングを実施。


 

 



1日目と違い、おしゃべりが多く、積極的に意見をのべたり、質問したりする参加者が多かった。


アクラン州はリゾート地ボラカイに近いということもあり、ツーリズムの要素を取り入れ、ボラカイを意識したデザインの提案などもされていた。

参加者は、真剣にデザイナーの話に耳を傾けていた。