Wednesday, September 13, 2017

帰国して2ヶ月~思うこと~

日本で一番暑い時期の7月に帰国し、東京での研修を終え地元に戻ってきた。

帰国して1ヶ月くらいはフィリピンでの疲れが心身共にたまっていたのか、疲れを感じやすかった。

久々の日本、久々の地元...

なんとか2年間、全うして帰国した感じだったので、フィリピンの果物くらいしか恋しいと思うことがなかった。

フィリピンの人々も食べ物も文化も、しばらくいいやというのが正直な感想...

帰国時に空港まで迎えに来てくれた先輩と話したとき、帰国すると隊員同士のしがらみや、JICA関係のしがらみからようやく解き放たれると言われた。

確かに隊員としてフィリピンにいる時は公人として、いるわけでいろいろな制約もあった。

狭い日本人同士のコミュニティや任地のコミュニティに属していたんだなと改めて思ったり。

なぜなら日本にいれば、周りは日本人だし、コミュニティも自分で選択しようと思えば

確かにそうだった。帰国して地元で家族と過ごしつつ、


フィリピン時代のテンションはだいぶなくなったかな…


Tuesday, July 25, 2017

Good bye Banga~カウントダウン


6月28日に任地からマニラへ移動した。
ここでは6月28日の1週間前の6月21日からの動きを備忘録として、下記に残そうと思う。


◆6月21日(水)

任地で最後のヨガ!ということで、ヨガをしにカリボに出かけた。
この日は国際ヨガディーということで、ヨガ関係者がいろいろなイベントをしており、
私の先生もホールを貸切って、フリーのオープンクラスを開催していた。

体的には前日や前々日も料理をしていたので疲れていたけれど、ヨガをすればリフレッシュできるかなと。

でも何といっても最後に先生に会えて挨拶できたのでよかった♪


◆6月22日(木)

配属先にデータを提出。引継事項など、CPに軽く伝えてほぼ終わり。


◆6月23日(金)

隣町リバカオにいる同期隊員のデシピに参加。ジープに揺られ、山間の村へ行った。

同期隊員の配属先の人たち、地元住民たちとボランティアたちによるパーティ。

同期隊員の用意した材料でいくつか日本食を作る。

帰りは雨が降る前に山を出た。


◆6月24日(土)

昨日の疲れで一日中、家にこもっていたけど夕方だけ、同任地の新隊員の同僚の親戚のパーティに招かれ出かけた。

昨日に続く、フィリピン料理でお腹がいっぱい...

おまけに腰や背中もだるい...


◆6月25日(日)

若干腰もよくなってきたので、荷造り片づけに拍車をかける。

夜は先生の家で最後の日本食を振舞う。



◆6月26日(月)

この日もフィリピンは急に休日となった。片づけ、荷造りを休み休みやる感じで終わった。

あ、でもランチだけはカリボまで出かけた。

レアジョブの先生をしているというフィリピン人のお友達2人とカリボ隊員で日本食レストラン。



◆6月27日(火)

午前中にアパートの斜め向かいのオーナさんの従妹のおばちゃんに最後の挨拶に行く。プレゼントとして、日本から持ってきて、任地でもずっと使っていた目覚まし時計をあげた。

あとは、新隊員が私のいらない荷物を引き取りにきた。

配属先に行って、単独でメイヤー(町長)に挨拶。メイヤーは50代後半の美魔女。

最後、配属先でつらかったことを伝え、2代目のボランティアが来た時に苦労しないよう努力してくれるとうれしいと伝えた。
(⇒最後だから、言いたいことを言ってしまった感じ)

お世話になった町役場の各事務所に行って最後の挨拶。みんな、今日が最後だと思っていなかったらしく、若干の混乱を呈す。(笑)

メイヤーには今日、アパートを引き払い、空港近くのホテルに宿泊予定と伝えたにも関わらず、

バンガでディナーをしたいから招きたいとのお言葉をいただく。

夜は隊員らと最後のディナーの予定だったので、お誘いはうれしく思うが、先に予定があるので…とお断りをした。

にも関わらず、配属先を巻き込んでのちょっと大騒ぎになっていた。

まずナンバー2の女性同僚からは、メイヤーがディナーに招待をしているとメッセージが入る。

そこに現地語の先生(元職場のOG)が間に入る。夜のディナーは前々から約束していたものだから、それを断ることはできないと思うよと、私の援護に回ってくれた。

それに対し、ナンバー2の女性同僚からは、先週、メイヤーはずっと出張で不在だったのよ、予定なんかたてられなかったのよと、2回も3回も言う。

結局、メイヤーからは、任地のお土産を最後持たせたいから、ホテルの部屋番号教えてほしいと言われ、収拾がついた。


ちなみに最後のアパート引き上げの直前に、現地語の先生が、渡したいものがあるからと言ってやってきた。

ちょうど片づけ途中だったので、そこでいらない不用品を持っていってもらった。


そして、最後、配属先の車でホテルまで送ってもらった。

CP、ナンバー2、現地語の先生が同乗して見送ってくれた。

ホテルにチェックイン。

はあ、ついにバンガを引き上げた。

やっと任地を出ることができた。

それにしても最後まで、振り回されたバンガの人たち。

はあぁ~ 本当に疲れた…


そんな気持ちでいっぱいだった。


回想~日本食を振舞う個別デシピ~


今日は7月25日。帰国して約3週間。日本の夏を久々に満喫している。

3週間もたつと、心も体もだいぶ、疲れが取れてきて、フィリピン時代を冷静に振り返ることができるようになってきた。

もちろん、フィリピン時代に経験したことに対する思いも、時間を経るごとに変わってきている。

ここでは、今帰国したから言えることを少しだけ書き記しておこうと思う。

タイトルにもあるように、任期終了間際に個別デシピを行ってきた理由とは?


任期終了間際になり、家族の容態が思わしくないことがわかり、一時期、任期短縮も考えていた。だから、配属先には自分のデシピはやりたくないと伝えていた。

でも結果、家族の危篤で一時帰国をして、任地に戻ってきたあと、個別にデシピを行っていた。

もともとの発端は、アパートのオーナーさんのアメリカ移住。

ほぼ私が任地を去るのと同時期だったので、一緒にしようということになった。

彼らからのリクエストは日本食!
ちょうど、日本の友達がフィリピンに遊びにくることになっていたので、日本米などの食材を持ってきてもらったので材料はそろっている。

新隊員も来たので、彼女にお手伝いしてもらい、巻きずし、ポテトサラダを作った。
日本からもってきた小瓶の日本酒もふるまってみたり…

そのあとは、オンライン英会話の先生をしているフィリピン人のお友達、そして、職場の元同僚で一番仲良くしていたフィリピン人らを招いてミニデシピ。


あとはカナダ人のお宅でお好み焼きやオクラと海藻を使ったサラダなども作った。

出張サービス(ほかの隊員のデシピやパーティのために作った)を含め、いったい何回作ったのかと思うくらい、最後はたくさん作っていた。

それだけ日本食が恋しかったのと、任地で食べる料理には飽き飽きしていた自分がいたのだと思う。

でも配属先では最後までデシピはやらなかった。

余裕がなかったのは言うまでもないが…

余裕があるってどういうことなのか、その時はわからなかったけど、今、日本に帰国してみるとわかる..

もっと余裕をもって、取り組めばよかったのかなと後悔することもあるけれど...

でも後悔ばかりじゃ先に進めない...

一つの経験として、次の人生に生かしていこうと思う。



Monday, July 24, 2017

活動もついに終わる

6月28日に任地を出ることがJICAフィリピン事務所からの連絡で決まった。

なんだかんだ、最後はドタバタしていた。

そしていつの間にか、活動は終焉を迎えていた。

ボランティアの活動は自分ではじめ、自分で終わらすものなのだなと感じた。
日本の会社で働いていた時みたいに、有給消化して、徐々に仕事の引継をしていくのとはちょっと違う。

最後は一人一人に手紙でも渡そうか?とかいろいろ考えていたけど、引っ越しもあり、マニラに上がってからのこともあり、結局それはできなかった。

最後は障害者のデータと写真、分析した資料などをCPにCD-ROMに焼いて渡した。
自分がいなくなってから、どうなるだろうとかいろいろ考えて、いろいろ伝えたいことも出てきたが、最小限にとどめることにした。

資料を残すことも大事だが、彼らには日本人ボランティアが2年ここにいたことで、意識が変わったりすることも大事だと思う。

任地の人たちの意識を変えることはできなくても、彼らの遠い記憶の中に、あんな日本人がここにいたなと思いだしてもらうだけでも、十分自分はヒーロー?(一応女なのでヒロインか?)になれたのではと思う。

学校に通っていた生徒の時だって、先生から習った授業の内容よりも、その先生の心意気とか、考え方をむしろ鮮明に覚えていたりする。


仕事をしていた時もそう。尊敬できる先輩、上司も仕事内容よりも仕事に関する考え方ややり方に感銘を受けた人の方が覚えている。

そういうスタンスでいいのかなと思う。。。

Friday, July 21, 2017

配属先での最終報告



日本に緊急帰国してもどってきたのが5月13日。そこから約3週間。

最終報告書の仕上げ、配属先に提出するデータや資料作成などにずっと追われていた。

そして6月8日にJICA調整員が任地を訪問してくれた。

目的はボランティアの最終報告を聞きにくること。

私はこの日に照準を当ててきた。合間にミニデシピを数回行い、任地を引き上げる準備も進めてきた。

ボスやCPも参加して、その他私の活動に関わっていた人達や関係者が参加した最終報告だった。
そしてなんとメイヤーも最初から最後まで私の報告を聞いてくれていた。これは私も本当にうれしかった。

2年間の活動。

ある意味長い。

最初に障害者のデータを分析した時の発表は最初の挨拶だけだった。そのあと、なかなか活動で話す機会も得られず、地道にCPと活動を続けてきた。


活動をもう少しで終えようとしてる自分としては、もう少し実のある活動をした方がいいのかといろいろ悩んだりもした。
周りの隊員の活動が目立つせいもあって、ちょっと引け目を感じていたのかもしれない。

でも配属先と町が必要としていること、それ自体をやることに意義があるのかなと。

フィリピンタイムで行われた最終報告は開始が遅れ、私の発表は30分。


そのあと、参加者達が私発表内容についていろいろ意見を言い始め、JICA側の出る幕はほぼなしの状態。


問題を投げかける形式のプレゼンにしたから言うまでもないが…



でもこれで一仕事終わった。

Friday, July 14, 2017

同期隊員のデシピ参戦♪

同じ州に2人の男性同期隊員がいる。

彼らがそれぞれ、配属先で送別会をやるというので、

手伝いも兼ねて、参加してきた。


1人は州都カリボ町の隊員で、ちょうど自分の誕生日と送別会を同時に行っていた。
町役場の近くのカンファレンスルームを貸切っての大規模なパーティ。
島内のJOCVの後輩たち、日本からのお友達なども参加してのパーティ。
各グループに分かれて(?)、日本食を作った。

巻きずし、牛丼、餃子、焼きそば、餃子、お好み焼き、フルーツポンチ、コロッケ、ポテトサラダなどなど…


フィリピン人はおかずをご飯と一緒に食べるが、この時はご飯がなかった。そのせいか、料理を出して、スタートした瞬間、あっという間に無くなった。人数も多かったが、フィリピン人たちの勢いには、やはり日本人は面食らう…


ポテトサラダ。ちょっとピンボケ。


手前左のかぼちゃコロッケとその隣のお好み焼き


もう一人は、任地の隣の町、リバカオ。野菜栽培でいくつかのバランガイで活動しているそうで、送別会の場所は、町の中心部から外れた川沿い。


彼が用意していた日本食の材料で、野外訓練のごとく、外でいろいろ作ってみた。

私はやっぱりポテトサラダが得意なのか、作りやすいのか、ここでも作ってしまった。

暑さとジープの揺れで心身共に疲れていたけど、とりあえず最後ということで頑張ってみた…

次の日は腰痛に見舞われ、その次の日は心身の疲労で12時間以上寝てしまったが…


ガスはなく炭ですべて野外調理


彼の配属先もいろいろ用意してくれた

レチョン(豚の丸焼き)も登場!



二人の送別会を見て、自分は配属先に向けて、特にやらないと決めたことに若干の後悔の念もわいてきたけど、自分の状況を考えると企画するのが難しかったなーと改めて実感。

大勢向けにやるより、お世話になった人や日本食に興味を持ってくれた人、そして残さず食べてくれそうな人にやるのが、自分にとって心地よかったので、私はそのやり方を貫いた。


帰国前2か月前に、家族の危篤で緊急一時帰国をしており、一時活動を中断していたし、一時帰
国から任地に戻ってきてから、40日余りで、活動の仕上げと引き揚げ準備をするのが精いっぱいだった。

私の活動の最終目標はデータを作り、分析し、それを配属先と町役場に提出することだった。


下手なデータは提出できない。そういったプレッシャーもあったのかな…といまさらながら思う。

Tuesday, May 23, 2017

フィリピン人に人気のスマホ?!~OPPO~


今やフィリピンでも日本と同じくWIFI環境が当たり前となりつつある。


ノートPCを常に持ち歩くわけにもいかないので、閲覧や簡単な返信用に日本で使っていたスマホをこちらでもWIFI専用で使っていた。

液晶が壊れたりしていたがそれでもなんとか使えていたが、先週ついに液晶が全部見えなくなった。

やはり日本からもってきた電子機器はフィリピンの環境に弱い気がする。

※ノートPCのキーボードも赴任して4ヶ月ほどで一部不能になり、代替策でUSBのキーボードを使っている。


前置きが長くなってしまったが、スマホが壊れたので、ついに任地カリボのモールで購入してしまった。

日本でSIMフリーで使うこともできると思って。

でも買ったのはOPPOというブランド。

フィリピンなどのアジア諸国では有名だが、日本ではみたことがない。

調べてみたら、中国ブランドらしい。IPhoneと見た目が似ている、いや真似をした?からか。

値段も安い。

本当はASUSとはHUEWEIとかのスマホにしたかったけど、見た目とおしゃれっぽさでOPPOになった。
OPPO担当の店員さんが英語がうまくて、親切だったのもある。

ちなみに買ったのは、A37Fという機種。一番安かった。

さっそくSIMをセットして、アプリをダウンロードして使っているが、今のところ問題ない。

任地の歯科医を初受診!


任期も残りわずかになって、ついに恐るべきことが起きてしまった。

ほんの2週間前は緊急一時帰国で日本に滞在していたけど、正直歯医者に行く余裕なんてなかったし、そのときは、私の歯は大丈夫だった。

去年の一時帰国の際、通っていた歯医者で検診をして、ちょっと虫歯になっていたところを詰めなおしてもらったり、クリーニングをしてもらったりしたきり。

二本松の訓練では歯を健康に保つ大切さを教えられ、歯磨きにいそしんできた協力隊生活。

元々、虫歯になりやすい歯並びと虫歯菌を殺す唾液をもっていない私の口内環境。


それが、ついに昨日、ご飯を食べていたら、ボリッというおと共に、奥歯の金属の詰め物が取れてしまった。
取れた瞬間に大きな痛みやしみたりする感じはなかったので、そのまま食事を終えたけど。

うがいをしてみたり、冷たいものを飲んでみたりしたけど、大きく沁みたりしなかった。


JICAボランティアルールとしては、基本的に歯医者はマニラの日本人医師のいるところとというのが通説。

フィリピンの地方の歯医者では技術力や衛生面で、不安要素が大きくJICAとし手はおすすめできない。

でも帰国を1ヶ月に控え、いまさら歯科受診のためにマニラに上がる時間も惜しい私は、応急処置をここ任地カリボの歯医者で行った。

歯医者はリニューアルしたばかりできれいだったし、器具も新しい。

日本ほどではないが、フィリピンの町医者の看板から想像する歯医者の中とはだいぶ違う。

ドクターは50代くらいの女性だったが、日本人の患者が来たということでいささかテンション上がり気味に見えた。
日本の歯科医の器具を昔使っていてすごくよかったのよ、だけど今は取り扱いがないからドイツ製を使っていると話も聞いた。

セメントで金属を詰めなおしたいと話して、その通りやってもらった。

最後にお決まりの記念写真を撮って終わり。

ドクターと一緒に写真を撮るなんて、日本じゃあまり考えられないけど、ここでは何でも写真になる。(笑)


私の治療をしてくれたドクター

娘さんもドクター


Thursday, May 18, 2017

魚を使った料理♪~南蛮漬け~


フィリピン人の先生のお宅で作らせてもらう料理は、自分でいろいろ考えて試してみる。

先生も自分も好きな料理に“南蛮漬け”がある。

南蛮漬けとは、揚げた魚と炒めた野菜を甘酢のソースに漬けこむ料理。


日本だと揚げ物で手間がかかるので、作ったことがなかったけど、

日持ちするさっぱりした魚と野菜の料理ということで、フィリピンに来てから6回くらいは作った。

フィリピン人の先生も魚、それも小さい魚が好きということで私と好みが一致。外国人の友人が多い先生の家でも南蛮漬けらしきものは作られているが、日本のものに比べると、より辛くて酸味も強い。

そこでご飯にも合う、日本風“南蛮漬け”を作ってみたら、これが意外に好評!!

先生の義理の娘さんも喜んで食べてくれていた♪

ちなみにレシピはクックパッドや、和食レシピのサイトを参考にしつつ、フィリピンにある材料でアレンジ。

小さな魚の種類も日本に比べて多いフィリピン。特に任地は近くに海があるということで毎日2回朝と夕方、水揚げされた新鮮な魚が出回る恵まれた環境。

漁師の娘だという先生は魚について詳しく、下処理の方法も得意だった。


全長10センチ前後の魚たち



中華鍋で浅めの油で小麦粉またはコーンスターチを付けて揚げる

 

大き目の魚も切り身で揚げてみた


出来上がり

フィリピンに来てから、任地にある材料で健康的でおいしい料理を作るのが最近楽しくなってきた♪


特に魚料理は日本より新鮮に出来上がる♪









Tuesday, May 16, 2017

緊急一時帰国

4月に入り、日本から家族の容態が思わしくないとの連絡があった。

その後、危篤連絡が入り、4月後半、緊急一時帰国をした。

葬儀、片づけなどで日本に2週間ほど滞在した。

世間はGWだったが、私は毎日残った家族と掃除と後片付け。



一時帰国前は、一時は家族から任期を早めて帰国してほしいとの連絡もあり、悶々とした日々…

活動もあるし、成果物を配属先に残して帰国したいという思いもあって、日々しんどかった。

任期を短縮して、帰国して家族の面倒を見て、落ち着いたらまたフィリピンに来るということも、頭によぎったが、それでは残りの私の人生が無駄に思えてきて、慌てて消し去った。

家族が私の意見に理解を示してくれた。

配属先も、周りの人達も、近くの同期隊員もみんな、いろいろ声をかけてくれたり、気遣ってくれたりしてくれた。

感謝するしかない。。。

Sunday, April 30, 2017

自分の誕生日は自分でもてなすフィリピン♪

4月は私の誕生日。

フィリピンでは誕生日の人がもてなすという文化。

それを聞いていた私は、あまり派手にしたくないなぁと思って、こっそりやってみた。

派手にしたくない理由は、いろいろあるけれど、まあここでは省略 (笑)


いつもお世話になっている先生とその家族を中心に本当に仲良くさせてもらっているフィリピン人に限定してみた。

でも、結局、配属先や近所の人にも日頃の感謝をしたいなと思っていたので、少し多めに作って振舞うことにした。


そして、なんと、先輩隊員の元カウンターパート(先輩隊員はすでに帰国している)も手伝ってくれることになった。

先輩隊員の元カウンターパートのJさんは、特別支援学校の先生で、バンガ在住。

配属先のことや生活のことでいろいろ心配してくれる優しくも頼もしい先生。

普段はなかなか会えないけど、この日は一緒にクッキングセッション♪

先生とも友達だし、世間(アクラン)は狭い。(笑)


作ったのは、以下のとおり↓

  • かぼちゃのコロッケ
  • 豚汁
  • トマトのサラダ
  • そば





左からトマトのサラダ、そば、豚汁、かぼちゃのコロッケ
手前右はローストチキン(家族が買ってきてくれた)


かぼちゃのコロッケをタッパーに詰めてみた(^^♪



Jさんは特別支援学校で料理や工作なども教えているから、上手♪
コロッケはほとんど彼女の手作業によるもの。

フィリピンはおかずをライスと一緒に食べる。そのため、初めてみたそばはどう食べていいのか戸惑ってしまったよう...

そば以外は好評だった。


ちなみに大量に作ったコロッケはタッパーにも詰めて、次の日職場に持っていった。

Thursday, April 6, 2017

おじちゃんたちの誕生日パーティ♪~バンガ編

任期も残すところ2か月余り…となった4月初め…

今年に入り腰痛の治療に専念し、自宅で作業することも多かった。

3月からフィリピンは本格的に夏となり、バケーションモード。

海外にいるフィリピン人もこの時期、帰国したりする。

私のアパートのオーナーさんもその一人。

1月半ばに帰国し、6月までここに滞在するそう。

オーナーさんに誘われて、マラリソン島へ旅行へ行った後から、オーナーさんの従妹である、バーのおばちゃんによく声をかけられるようになった。

電話番号も交換したのでたまにテキストが来たりする。

※アクラノ語なので、理解するのに時間がかかる…


そんなある日、「今日の夜、タラバに行くよ。カルボの誕生日だから」とメッセージが。

もちろん現地語で来たので、時間をかけて翻訳…(笑)

私はこの時点で勘違いしていて、「タラバに行くよ」が、「タラバを作るよ」と思い込んでいた。


だから、待ち合わせの時間に彼女の家の前に行ったけど、料理の準備など何もしていないので変だなと…

確認したら、タラバというレストランに行くよ!ということだった。

よくある勘違い…

特にフィリピン人とのコミュニケーションは、欧米人とのコミュニケーションより勘違いや思い込みが先行していると私は感じている。


バンガにも一応レストランはあった。でも、ミネラルウォーターはおいていないという地元の客用のレストラン。

バンブーで作ったハウスには、すでに大勢のおじさん達(カルボさんの親戚や友達)でいっぱいだった。

そこに突如参戦した、日本人女子1名。

地元同士の集まりであればあるほど、彼らは地元の言葉を使うから、もちろんアクラノ語。

タガログ語も少し考えないと出てこないし、英語なんて出て来やしない。


思えばこういう地元民が集まる飲み会は、私は今までほとんど参加したことがなかった。

とりあえず笑顔つくろって、差し出されたオイスターや、ポークをつまみにビールを飲む。

いろいろ話しかけられたが、現地語だらけなので、ちんぷんかんぷん。


途中からオーナーさんの弟の奥さんやら、何人か来てくれたので紅一点にはならずにすんだけど。。。

日本だと、外で女性がお酒を飲んでも特に何も言われないし、特に都会では女性一人がバーで飲んでいても、普通だけど、ここフィリピンの田舎ではやはり、考えられない。

それだけ、自分が田舎に派遣されているんだということを再認識した。



ちなみに今日の主役のおじちゃんは69歳の海坊主。(笑)

グループ内では一番の年長だが、お酒も踊りもおしゃべりも楽しむ元気なおじちゃん。

かわいいの日本語だけを覚えて、なんども会うたびに「あなた、かわいい」

を連発していた。

Sunday, April 2, 2017

世界の笑顔プログラムを活用して~



JICAに頼ってばかりはいけないと思いつつ、任地の暮らしぶりは日本と大きな差がある。

障害児や障害者の人たちは、日本では当たり前である車いす、松葉づえなどの補助具がなくて、日常生活に困っていたり、

障害児向けのセラピールームでは、遊具やセラピーに使う用具の劣化や不足で、セラピーに来た障害児が来ても遊んでいるだけの時もあったりと…

仲良くなった町運営の小児リハビリセンターのフィリピン人理学療法士(女性)の話を聞いて、

このセンターのために何かできることはないかと考えた結果、

「世界の笑顔プログラム」を利用してみよう!

だった。


ちなみに世界の笑顔プログラム(英語名;Smile for all in the world)で、JICAホームページによると

“発途上国で必要とされている、スポーツ、文化、教育、福祉などの関連物品のご提供者を、日本国内で募集し、JICAが派遣中のボランティアを通じ、世界各地へ届けるプログラム”

とのこと。 

参考⇒https://www.jica.go.jp/partner/smile/


フィリピンで活動してみて思ったことは、欧米系のNGOやキリスト教系の団体がこういった補助具を寄付することもある。

だから、あえてJICAが入って寄付するだけだと、ばらまきになりそうだし、躊躇していたんだけど、やはりリハビリセンターでの物不足は深刻...



なので、日本から寄付してくれる人をJICAを通じて募集し、とっても素敵な玩具や用具がはるばる日本からやってきました。

依頼してから半年かけて、ようやく任地に届いた。


届いたよ~と知らせると、リハビリセンターに通う障害児のお母さんたちやスタッフ向けに贈呈式をやってくれるということになった。

写真はその時のもの。




贈呈式に集まってくれた保護者のお母さんたちとスタッフ



日本からやってきた知育玩具(タンデムとウッドクロック)



積み木のおもちゃ


初めて見る木琴にスタッフとお母さんも大興奮



木琴を送ってくれた中学校の皆さんからのお手紙


バランガイ訪問よりも、なんだか仰々しい感じだけど、やっぱりこういうものもボランティア活動の中にあってもいいなと思ったひと時だった。

Thursday, March 30, 2017

アンティケ州マラリソン島へ♪

近所のフィリピン人の友人に誘われ、アンティケ州のマラリソン島へ行ってきた。

3月4月はフィリピンにとっては夏。多くのフィリピン人が旅行に出かける。

近所のフィリピン人のおじさんもアメリカに在住していて、この時期だけはフィリピンに帰ってくる。

おじさんとその従妹であるおばさんに誘われ、1泊2日のマラリソンへの旅に参加させてもらった。




マラリソン島




途中立ち寄ったブルアンガという町

マラリソン島



早朝から子どもたちに出くわす


早朝トレッキングに参加


山の頂上からの眺め


朝から海辺で遊ぶ子ども



漁から帰ってきた島民たち



本日の収穫


2日目も天気がよい♪


こじんまりとしたリゾートの入り口



写真は液晶が壊れたスマホで撮ったもの。

心なしかどの写真もぼやけて見えてのは私だけだろうか?


この旅では初めてフィリピン人と一緒に旅行することができた。(それも日本人は私ひとり)

竹でできた民宿に泊まり、BBQをしたり、海辺で飲んで踊ったり...

凧を上げて、幸福や成功を祈るのも初めてみた。


波も穏やかだし浅いので、海に入っても、日本ほど危なくない。


フィリピン人たちの人生の楽しみ方を垣間見た感じだ。

日本人と比べると物質的な豊かさには圧倒的に欠けるフィリピンだけど、自然と共存して楽しんでいる様子は、フィリピン人の方が上のような気がする。

Monday, February 27, 2017

30年前の隊員と会う

2月後半、用事があってマニラに上がった。

その際に、フィリピン隊員のOVの方々とお会いする機会があった。

どちらも50代の紳士お二人。

そのうち一人は、フィリピン人女性と結婚されていたため、年に数回フィリピンを訪れているそう。

もう一人の方も、休みが取れたらフィリピンに3日間や4日間で来ることが多いとおっしゃっていた。


50代のおじさま方から出るのはフィリピンパブの話から、30年前の隊員時代の話などなど、本当にバラエティーに富んでいた。

30年前は携帯やスマホ、PCもない時代。報告書は手書きで提出とか、定期連絡は無線とか。。。

ちなみに一人はマニラ隊員だったので、当時のマルコス戒厳令の時代の様子も詳しく教えてくださった。

30年経ってもフィリピンは変わってないのか~と思うこともあれば、少しは進歩したと思うことがあるようだ。

私も活動の話や悩みを聞いてもらって少しはほっとした気持ちになった。

こういう機会を持つことができてよかったなと感謝している。

Saturday, February 25, 2017

フィリピン人と餃子&マーボーナス♪

ここのところ、料理ネタばかりで申し訳ない気もするけど...


またひとつ料理について書かせていただきます!!


今回は餃子とマーボーナス。


この二つを作るきっかけになったのは...

①同期隊員の語学の先生でもある、学校勤務のフィリピン人女性とクッキングセッションの約束をしたこと。

②以前日本で中国人の友人らが作った手作り餃子がおいしくて、ここフィリピンでも作ってみたいと思っていたこと。

③偶然にも、豆板醤があったので、これで何かを作りたいと思っていた。


⇒結果、餃子の皮を州都のスーパーで入手できることがわかり餃子確定
⇒豆板醤と言えばマーボー豆腐だが、豆腐が出回っていないから、茄子を代用してしまおうと.


ちなみに餃子にもマーボーナスにも挽肉を使うので、材料は州都でまとめ買い。

最近の料理は一つの材料(例えば、じゃがいも、挽肉など)で、二つのメニューを作ることも
多くなった。

↓材料はこんな感じ↓

餃子
  • 豚ひき肉
  • エビ
  • キャベツ
  • 玉ねぎ、
  • 小葱(日本では分葱という。こちらでは「spring onion」と呼んでいる)
  • しょうが
  • ニンニク
  • コショウ
  • 餃子の皮。 州都のスーパーで売られている。こちらのものは日本の餃子の皮より皮が厚い。たぶん、中国人に合わせて水餃子用かなと思われる。

マーボーナス
  • 豚ひき肉
  • ナス
  • 玉ねぎ
  • ニンジン
  • 豆板醤(トウバンジャン)
  • 甜面醤(テンメンジャン) ※買うのはもったいないので、日本の味噌と砂糖を混ぜたもので今回は代用
  • コーンスターチ(日本では片栗粉だけど、こちらではないので)

ひき肉を思った以上にたくさん買ってしまったので、作るの大変だったけど、
フィリピン人の先生、楽しんでくれたみたい。

ちなみに豆腐は市場にも出回っているらしいが、新鮮かどうか不明。
やはり安心なのはスーパーでパックを買うものかなと思うが、任地カリボのシティモールという一番新しいスーパーには置いていない。

パナイ島でもイロイロやロハスのスーパーには置いてあるのに…

でも、フィリピンの田舎は茄子をたくさん作っている。余って捨てたりしているという話も
野菜栽培の隊員から聞くので、マーボーナスを作って大量消費というのもありかもしれない。


餃子の皮を包む作業なんかは、手慣れたらフィリピン人の方が上手。
彼らも細かい作業は結構好きなようだ。


餃子は、焼餃子、水餃子、揚げ餃子の3種類を作ってみた。

皮の厚さもあるのか、焼餃子は結構難しい。
私は水餃子が好きだけど、フィリピン人はやっぱり揚げ物好きだから、揚げ餃子が好評でした。



作り過ぎて、このまま1週間くらい、餃子とマーボーナスを食べ続けたのはゆうまでもない。

(笑)

マーボーナス


大量の餃子

これは水餃子


今回一緒に作ってくれた先生MJ

左から、焼餃子、水餃子。


Friday, February 17, 2017

日本の家庭料理~ハンバーグ♪

ここ最近料理ネタが多い。

確かに活動は料理がメインになってきている。

ストレス解消が料理というのもあるし、一度、日本食を作った後、次々にいろいろな料理が作りたくなってきた...

そう、いわゆる南国での日本食作りにハマったのである。

発展途上国での生活は日本にいたころや子供のころを思い出し、懐かしむちょっとした“回帰”みたいなものだった。

そして、次に作りたくなったのは、子供のころ、母親のお手伝いで作ったハンバーグ。

楕円形で厚みのあるチーズを載せたハンバーグ。

火加減に注意していても焦げたりしてしまう、そんなハンバーグを作ることにした。


1人暮らしでも全然作らなかったハンバーグ。

それをフィリピンで作ろうとしたもんだから、人生何があるかわからない。

材料とレシピはクックパッドを参照して、決める。

ビーフとポークの挽肉を手に入れるのも至難の業であるここフィリピンの田舎町。

なんとか挽肉を手に入れ、子どもの頃作ったハンバーグを思い出して、フィリピン人と一緒に作ってみた。


ちょうど、この日も、先生の息子さんとお嫁さんが海外から帰国中だったので、食べてもらった。

見た目はいまいちだけど、ボリュームのある日本式ハンバーグができた。

ハンバーグに入れてみたタンドリーチキン用のスパイスミックス


写真ピンボケでゴメンナサイ。
ハンバーグ♪

実家で作った時のようにチーズをのせてみた


フィリピン人は挽肉を手で混ぜるのはあまり好きじゃないらしい。




ちなみにこのハンバーグ、1つ食べるだけでも胃にずっしりくる腹持ちのいいハンバーグでした♪


Wednesday, February 15, 2017

フィリピン人と寿司セッション♪


フィリピン人の先生の息子さん夫婦が海外から一時帰国することになった。


息子さんのお嫁さんと先生はとっても仲良しで、毎日、Skypeで連絡をしている。

食事中も来客中も、家事をしている間も。

もちろん私が遊びに行った日も、今日は、Junkoが来ているよ~と。


フィリピン人の多くは、海外や他の土地から家族や親戚が地元に帰ってくると、

バリックバヤーン(訳すなら、“故郷(地元)に戻る”、“welcome home”)といって、パーティをやる。

家族や親戚、友人、同級生などが呼ばれて、結構大きなパーティになる。

先生から、このパーティでは、あの子たちの好きな●●を作るのよ~と嬉しそうに私に話してくれた。

そして、外国に住んでいる義理の娘さん、日本人が先生の家に出入りしていると知って、

外国で日本の寿司セットなるものを買って、フィリピンに帰ってくると宣言。


これに合わせて、私は先生の家でこのキットを利用して手巻きずしを作ることになった。

フィリピンで作るお寿司で何が一番重要か?

これは米につきると思う。

フィリピン米で作っても、細くて粘り気のない米は、まとまりにくいし冷めるとおいしくない。

※ちなみにフィリピン米で作るときはもち米を混ぜると粘り気が出ていいと聞くが、私は試したことはない。



さっそく、手巻きずしに何を入れようか考えてみた。

日本みたいに、かんぴょうやサクラデンブ、ひじきなどはない。

となれば、フィリピンにもある材料で手巻きずしを作る。

フィリピンはハロハロ(なんでも混ぜる。ごちゃまぜ。)の国だから、具も日本人の規定概念でなくてもいい。

そこで今までの経験から以下の具を考えてみた。

  • キュウリ ※細切り
  • ニンジン ※細切り
  • レタス
  • きんし卵 
  • かにかま ※州都のスーパーで購入可
  • ツナサラダ ※ツナ缶のツナにマヨネーズとコショウで混ぜ合わせて作る 
  • キムチ  ※州都のスーパーで購入可。日本のキムチよりうまみがなく、酸っぱくて辛い。ごま油を少々垂らして風味を出す。
  • ソーセージ ※州都のスーパーではフィリピン特有の赤くて甘いものではなく、普通のソーセージを買う。細切りにして、フライパンで軽く焼く。イメージとしては沖縄のスパム。
日本のようにサーモン、トロ、エビなどの生ものは用意ができないから、必然的にサラダ巻のようなアレンジになってしまったが…


米は日本米。

酢飯用の合わせ酢も忠実に作った。

ご飯が炊きあがり、具の準備も終わったところで、手巻き寿司セッションが始まった。




ちなみに巻きずしに欠かせない“巻きす”は全部で3個。

隣町の隊員から借りたものと、義理の娘さんが海外から買ってきた寿司セットに含まれていたもの。


そんなに大きな家ではないけれど、30人以上は来ていただろう、先生の家。



手巻き寿司作ってみたい人ーーー!



って声かけたら、女性たちが集まってきた。



料理上手なフィリピン人のおばちゃん(中央の赤と白のボーダー)が率先して作り始めた。



何を作っているのか気になって群がるフィリピン人(笑)




出来上がった手巻き寿司。





この寿司セッション、たくさん人がいたし、下ごしらえも大変だったけど、楽しかった。

何よりも寿司が食べれたのが、本当にうれしくて感動してしまったほどだ。

やっぱり、新潟県育ちだからか米は一番大事!!!と思ってしまうのかな。 


Wednesday, February 1, 2017

たまには活動のことも


最近活動についてはあまりブログで触れることが少なくなった。

まあ、活動も終盤。

あとは自分自身が腰痛を発症したことによる、精神的なダメージが大きく、ふさぎ込んでいたのも事実。配属先に行くこと自体も、もうすでに前からストレスなので、自宅で作業することが多くなった。

もちろん、全く配属先に行っていないわけではない。用があったり、打ち合わせが必要なときには赴いている。

12月後半に2度目の腰痛を発症した後、ドクターに見てもらって、活動、特にバランガイ訪問は自粛するしかなかった。これ以上ひどくなったら手術だとも言われたし、フィリピンでは手術はしたくない。だったら、自分の活動を自粛というか、うまくコントロールしてやるしかない。

この時期ちょうど、3月で帰国する現職隊員らが若干うらやましく思えたり…

私も3月で帰りたいなーなんて気持ちも出てきたり。


とまあ、前置きが長くなりましたが、活動は続いています。


世界の笑顔プログラムの寄付品がもうすぐ届く予定だし、

バランガイ訪問は私抜きで同僚らで再会する予定と聞いているし…


私は、報告書を書いたり、最終的に障害者のデータをまとめるために残りの計画をうっすらと考えてみたり・・・・

地味だけどね。



あとはやっぱり体調優先とストレスをためないようにうまくマネジメントしないと…







Thursday, January 26, 2017

フィリピン人の家で“ぜんざい”を作る♪


仲良くさせていただいているフィリピン人の先生のお孫さんの誕生日ということで。

お好み焼きに加え、デザートである “ぜんざい” を作ってみた。


たまたまあった缶詰のあんこ。そして首都の日本食スーパーで買った生切り餅。

お正月はやっぱり餅が恋しくなるな~と思い続けてきて、何か作りたいし食べたいな~

と思ってきて、ついにチャンスが巡ってきた!

あんこと水を鍋に入れて、煮立たせる。よくかき混ぜながら汁状にする。

餅はキューブサイズに切って、別の鍋でゆでる。

柔らかくなったら、あんこと一緒にする。







水であんこをペースト状にして、



ゆであずきの缶詰と生切り餅


フィリピン人の女子大生にも味見してもらった。




先生のご友人のカナダ人ご夫婦にも♪




ぜんざいはお好み焼きと一緒に作ったけど、簡単にできるのでそれほど大変でもなかった。

ただ焦げないように気を付けていたけど。


フィリピン人、カナダ人にぜんざいを振舞って、喜んでもらえたのは楽しい経験だった。

Monday, January 23, 2017

フィリピンのお家でお好み焼き!


いつも仲良くさせてもらっているフィリピン人の先生の家で、今度はお好み焼きを作ってみました。


もうとっくにレッスンは終わっていて、最近はもっぱら、おしゃべりしに遊びに行ったり、

日本食を作らせてもらったりしている。

配属先の同僚らよりも、仲良くさせてもらっている。

配属先の同僚らってやっぱり利害関係がある気がするけど、先生とその家族は、素の私と向き合ってくれる。

おまけに英語力もはるかにあるので、フィリピンでの生活の悩みとか、相談とかいろいろ聞いてもらえるありがたい存在。


ちなみにお好み焼きは私の得意な日本料理の一つ。

アメリカ留学時代、ホストファミリーの家でほぼ週に1回、作っていた(むしろ作らされていた)ので、焼き方のコツとか材料のコツとか、ある程度心得ているつもり。

ちなみに大阪人ではありません。(笑)

さらに、日本にいたときも、外国人が集まるホームパーティなんかでもお好み焼きを作っていた。

もちろん、アメリカや日本にいたときは、お好み焼きの素となるお好み焼きミックスで作っていたけど、ここフィリピンではない。

小麦粉から作る。

ということで材料をここで紹介したい。

現地で買えるもの
  • 小麦粉
  • キャベツ
  • 玉ねぎ
  • ニンジン
  • オクラ ※ 
  • エビ
  • 豚肉スライス
※日本なら山芋をすりおろして入れるが、ここフィリピンではないので、ネバネバ野菜のオクラを代用


日本から持ってきたもの
  • お好み焼きソース ※なければ現地のオイスターソースでも代用可能。ちょっと味が濃いがイケる
  • マヨネーズ ※これもフィリピン人向けならフィリピンのマヨネーズでも代用可能
  • かつおだし(本だしの粉末) ※なければクノールのエビ、ポークなどのキューブなどを水に溶いたもので代用可能。
  • かつおぶし 

作り方

(A)
キャベツは千切りにする。
ニンジン、玉ねぎも千切り。※みじん切りにまではしなくてよい。
オクラも細かく輪切りにする。
エビは市場で買った場合は、頭を取って、殻をむき、尻尾も取る。


(B)
小麦粉に水を入れる。合わせて溶き卵を入れてダマがなくなるように混ぜる。
ほんだしと塩で味を付ける。※ほんだしがなければ、フィリピンにあるマジックサラップや、クノールのエビやポークのキューブを水に溶かして加える。


(B)に(A)を入れ、混ぜ合わせる。お好み焼きの素が焼くときに分離しないように、(A)の量を調節する。⇒(C)


フライパンを熱し、油をしいて(C)をパンケーキサイズに流し込み、形を整えて中火で焼く。
この時、表面に豚肉のスライスをのせる。お好みでチーズをのせてもいい。

フタがあればふたをして10分程度、裏返して10分程度焼く。
※中のダマが半生だとおいしくないので、じっくり中まで焼いた方が日持ちもするし、おいしい。

お皿にのせて、マヨネーズ、おたふくソースをトッピング。あればかつおぶしや青のりもふりかける。

初めて食べる日本の野菜入りパンケーキにフィリピン人も喜んで食べてくれる。



ちなみに余談だが、

フィリピン人と一緒に料理をすると、彼らの油の量の使い方が半端ない。
日本では、油で揚げるのと、フライパンで焼くのは区別されるが、フィリピンはあまり変わらない。
彼らにとって「焼く」とは、大量のパーム油の中でじっくり焼くのが当たり前。だからお好み焼きを焼くときに少量の油(それもサラダ油)で焼く光景はとっても珍しいようだった。

ちなみに田舎の普通のフィリピン人は揚げ物は基本的にパーム油。
市場でも小分けして売られているのはパーム油だけ。

ただ、パーム油は日本人にはあまりなじみがないため、大量に摂取するとおなかが痛くなったり、張ったりする人もいる。
私もその一人。

だから先生の家で作るときは、必ずサラダ油を持参するか、あるかないかを確認している。

ない場合は町の小さなスーパーで買うか、州都カリボまで出て買ってから、先生の家に行く。

来客に食べてもらう

下ごしらえ完了。


先生も一緒に焼く


出来上がったお好み焼き