Saturday, October 31, 2015

住まい


Bangaでの住まいを紹介する。

通常フィリピン隊員は、ホームステイをする隊員も多いが私は一人暮らしを希望した。

(赴任時、6人の同期隊員のうち4名がホームステイ、1名がルームシェア、私がアパート。)

田舎になると都市部にあるようなアパートはほとんどなく、空いている家もなくホームステイを余儀なくされる場合もある。

私の任地、Bangaも田舎。アパートを探すのは結構大変だった。

勤務先から少し離れたところにアパートがあったが、予算オーバー。

勤務先の近くにあったアパートは、1階でガラス張りになっていて、セキュリティ面で不安を感じアウト。

大学のボーディングハウス(寮)も候補にあったが、学生ではないのでアウト。

最初はホームステイかと思い、あきらめかけた最後に見つけたのが今のアパートである。

1ルームとCR(シャワーとトイレと洗面台)が専有部分。キッチン、廊下、玄関は共用。

1ルームといっても8畳部屋を二つつなげたような広さであり、天井も高い。



窓もきちんとスクリーンがついている。

ただ入り口のドアにはスクリーンがないので開け放しにしようものなら虫が入って来る。

なので、蚊取り線香、ベープマット、日本からもってきたワンプッシュで蚊を撃退して日々過ごしている。


ちなみにアパートのメインゲートは私が来てからどんどんセキュリティ面を強化している。

今までは住民以外も入ろうと思えば入れたが、最近はメインゲート専用の鍵を作り、住民以外、入れないようになった。

また、以前は、野良猫が隙間をくぐって、ごみをあさりに来たり、寝泊りしていたが、、その隙間さえも埋めてしまったので、猫すら入ってこれなくなってきた。


キッチンは1階の共用スペース。ただ、いろんな人が出入りするので、現在私は利用していない。

ワンルームの部屋で料理をしている。

フィリピンの外食は野菜が少ないので、ワンルームでは野菜スープや野菜多めの麺類を作ることが多い。

外食では肉、魚、ご飯などを食べることが多いので、自炊で野菜を摂ることでバランスを取っている。

ちなみにシャワーは水シャワー。 


そして洗濯機はないので手洗いである。

最初は結構な力仕事もあって、大変だったが、最近はシーツや重量感のあるバスタオルも自分で洗えるようになった。

助かっているのは、アパートの屋上に洗濯物を干すことができることだ。


多少、びしょびしょでも干せるし、基本暑いので1日で乾くので助かっている。

 

Sunday, October 18, 2015

この私が住民にインタビュー?!


通常、新規のコミュニティ開発隊員はなかなか最初活動方針が定まらず、模索を続けている。私もその一人である。
同じ島にいる先輩隊員とのミーティングの後、オフィスでの勤務の中で少しずつ、自分を知ってもらうために動き始めてみた。
任地は2013年11月のフィリピンを襲った台風ヨランダの被災地でもある。今でもNGOの寄付で建てられたバンブーハウスに住む地元民、電気のない生活をしている住民など、意外に多くてびっくりした。外国のNGOが農民向けに農具の寄付などを行っている。

その中で、任地では、9月25日から10月8日まで、すべてのバランガイ(日本でいう”自治会、町内会”)向けに、Disaster Assistance family Access Card(DAFAC) の登録のためのインタビューを行い始めた。(実際の所集計後、どういう流れにになっているのかはわからない)

30のバランガイがあるので2週間以上、関係各所は登録のためのオリエンテーション、PCへの登録、登録から漏れた住民からの苦情受付などに追われている。

私の配属先も例外ではなく、朝からたくさんの人が押しかけている。そんな中、カウンターパートからオブザーブしないかといわれ、インタビュー会場のドームへ出かけた。

現地はタガログ語ではなくフィリピンの現地語の中でも発音が難しいといわれるアクラノ語。

当然、私はアシスタントで終わると思っていたが、カウンターパートから英語でもいいのでインタビューをしてくれと言われ、インタビューを始めてしまった。



相手は地元の農民や主婦、ドライバーや高齢者、PWDなどである。年齢、学歴、職業、家族構成、収入、持ち家かどうか、ヨランダ後どんな支援を受けたかなどを聞いていく。

当然、地元の農民に日本語なまりの英語は通じるわけもなく、しょうがなく、両サイドで対応している同僚のアクラノ語のフレーズをみようみまねで話し、所々、タガログ語を入れてインタビューを続けた。

住民とのインタビューは外国人だからと言って怪訝な顔をされることはなく、むしろ双方とも言葉が聞き取れなくて、怪訝(不安?)になることはときたまあったが、最後は、サラマット(ありがとうの意)と言って、インタビューを終えた。 

わからない時は同僚がアシストしてくれたりしたので、本当に助かったし、質問のフレーズもタガログ語、アクラノ語で教えてくれたので、非常に勉強になった。

何十人もフィリピン人にインタビューにする中で、自然と自分の中で発音しやすいフレーズをタガログ語とアクラノ語で使い分けていた。

アクラノ語は、タガログ語や他のフィリピンの現地語で話される "la"の音が、"ea" (ガ)という半母音に変わる。これが、アクラノ語の聞き取りが難しい理由のひとつと思う。

ただ、約2週間このインタビューを続けてきて、何よりも私にとっての収穫は地元民の生活レベル、収入、学歴、などをこのインタビューを通して知ることができたことである。


英語ではなく現地語で話す方が彼らとの距離も近づくし、いろいろなことを知ることができると思う。
彼らの生活は収入から見ると決して豊かではないことも十分理解できた。

(でもフィリピン人はなんとか楽しく生きているように見えた。)

活動は引き続き、模索中だがこのインタビューは私にとって一つの大きなステップになったと思う。



photo1

photo2
 
photo1, photo2 インタビューの様子
 

Tuesday, October 13, 2015

私の要請内容

青年海外協力隊には多くの職種と要請内容がある。

派遣されている国も、アジア、太平洋州、中東、アフリカ、南米と多岐にわたる。

私はその中でコミュニティ開発という職種で、町役場の社会開発福祉事務所に配属されている。

日本では行政機関や社会福祉関係の仕事に携わったことがないため、なぜ!?と思われる方も多いかと思う。

実はコミュニティ開発は、看護師や教育などと比較して、専門の資格や経験がなくてもトライできる門戸の広い職種なのである。

もちろん、同じ職種のコミュニティ開発隊員には、新卒の隊員や社会人経験を経て参加する隊員が大半だが、その中には今までの職歴や経験、特技などを生かして、派遣されている隊員も多数いる。

ちなみに私の職歴は、IT関係の会社と保険のコールセンターのみ。苦手なコンピュータは、IT会社勤務時代に人並みのスキルを身に付け、コールセンターでは電話対応能力をはじめとするこれまた人並み程度ののコミュニケーション能力を身に付けた。
 ※大学は文系で法律や政治、異文化論を専攻してきた。

このバックグラウンドが、どうJICAの面接官に写ったのかわからないが、社会福祉系のコミュニティ開発隊員としての合格をもらい、今ここに派遣されているのである。


前置きはさておき、私の要請内容を見てみよう。

  1. 地域における障がい者の生活状況に関するデータ収集やファイリング支援を行う
  2. 生活向上プログラムや就業支援のプログラムの企画・調整支援を行う
  3. 障がい者支援に関するセミナー等の企画・調整支援を行う
  4. バリアフリー環境作りの実行支援を行う
  5. 福祉に関係する「法律や条例」を遵守していくためのモニタリング支援を行う

これらをいきなり読んでも何のこっちゃという感じだろう。
私もそうだった。

派遣前訓練の事前提出課題でこれらを英訳する課題があったのだが、本当にどう訳していいのか相当頭を悩ませた。

そして、派遣前訓練中、そして任地に来た当初も、これらは一体どういうことを意味するのだろうと
考えていた。

だが、任地にてもうすぐ2か月になろうとしている。

その間に先輩隊員の任地への視察、町民へのインタビュー、 ファイリングの手伝い、住民との対話、研修への参加、そしてここのでの生活を通して、なんとなく、それぞれが何を意味するのか
わかってきたような気がする。

自分の使命を理解し、そのためにできる限りのことを行っていく中で、ふと、自分の要請内容を見直したときに、内容そのものが自分の胸にすとんと落ちるような感覚が生まれたことに、逆に驚いた。



photo1  市場の入り口


photo2 Bangaのシンボル Clossing

Saturday, October 3, 2015

9月分の生活費


任地パナイ島アクラン州バンガ町に赴任して1ヶ月半が経った。

マニラにいたころに比べ、格段に使うお金は少ない。

理由としては
  1. 田舎なので、大きなスーパーがない。生活用品は小さな食料品店で買うか、週末州都へ買い出しに出かける程度。
  2. 野菜、肉、魚はマーケットで買えるため、スーパーより2割ほど安い
  3. レストランらしきものもほとんどない
  4. 生活圏が徒歩圏なので交通費もほとんどかからない。かかるのは週に数回州都までのジープニー (※1)代程度。
  5. ホスピタリティあふれるフィリピン人の誕生日パーティに呼ばれたり、フィリピン人の家でご飯をごちそうになることが多い。

 等が考えられる。


そして、生活は以下の通り算出された。

  1. 食費 food                       4,302 ペソ
  2. 日用品 commodities            1,314 ペソ
  3. 交通費 transportation       640 ペソ
  4. 携帯代 mobile prepaid card    700  ペソ
  5. 交際費 social expense     1,490 ペソ
  6. カフェ代 cafe                         270 ペソ
  7. インターネット代  internet            0   ペソ 
  8. 書籍代 books                        0   ペソ
  9. 電気代 electric bill         354 ペソ
  10. 家賃   house rental fee      5,000 ペソ
  11. 水道代  water bill                  200 ペソ

1~9 変動費用(variable expenses)のみ 9,070 ペソ
1~11 合計 (total)                              14,270ペソ


<以下各項目についてコメント>
  1. 食費は昼食が一食平均40ペソ。夕食の材料費や朝食のバナナ、パン、ヨーグルトは、マーケットで購入。
  2. 今月はエレクトリックカップ(電気湯沸し器)、洗剤、柔軟剤、トイレットペーパー、蚊取り線香などを購入。
  3. 基本的に州都までのジープニー代(片道14ペソ、)トライシクル(片道8ペソ)がメイン。9月は歓迎会でバスの利用があったため高め。
  4. JICA支給携帯の追加プリペイドカード代
  5. 任地の先輩隊員らとのご飯代
  6. 州都にあるカフェ。勉強したりまったりしたり、週末行くことが多い。
  7. アパート、職場とも弱いながらWIFI環境あり。
  8. 書籍購入は特になし
  9. フィリピンは電気代が高いので、なるべくエアコンの使用をさけて節約に努めた。
  10. 家賃は固定
  11. 水道も固定

 現地の人はお菓子やスナックでもスーパーで袋詰めされているものではなく、路上で売られている安いものを買っていることが多い。

ちなみにフィリピンは乳製品が高い。1Lの牛乳が90ペソ(※2)で、輸入品であることが多い。

私の健康バロメーターであるヨーグルトも1パック、33ペソと日本とあまり変わらない。ヨーグルトは自分の健康管理を考えると割高であるが購入してしまっている。

1か月の生活費は、家賃を除いて1万ペソ以内に抑えたいと思っていたので、まあまあ上出来だといえるが努力次第ではもう少し節約できると思う。

普段の食事で自分の好きなものは食べれないので、せめて、ヨーグルトくらいは日本にいたときと同じように食べたい。

そうでなければ、ストレスが溜まってしまうし、心と体の健康によくない。

生活用品は意外に防蚊対策とペーパー類のコストがかさむことが判明。

防蚊対策は、蚊取り線香、ベープマット、OFF(フィリピンの虫除けローション)などである。


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 (※1)ジープニー:フィリピンで主要な交通手段の一つで米軍のジープや軽トラックを乗り合いバス風に改造したもの。窓ガラスはなく、田舎では町と町を結ぶ重要な交通手段。バスよりも値段は安い。軽トラックタイプは、モルティカブ(multi cab、photo1)ということが多い。

もう一つの庶民の重要な交通手段はトライシクル(trycycle、photo2)である。持ち主の好みでいろいろなデザインの物がある。こちらは新品で派手目デザインのトライシクル。バランガイごとに色が決まっているらしい。乗客は最大8人位まで乗せられる。町内、近隣都市間を結ぶ。



photo1: Banga ~Kalibo間を走るモルティカブ


photo2: トライシクル


(※2)1ペソ≒2.73円(2015年8月現在)