Sunday, December 13, 2015

Money Releasing ~援助金配布

前回、町民にインタビューをした記事を載せた。

詳しくは下記ブログを参照

この私が住民にインタビュー?!

http://arbolazul2012.blogspot.com/2015/10/blog-post_18.html


今回の記事はその続編である。


インタビューを終えて、必要書類を確認して、サインを取り付けて、すべての処理が終わったら、

住民に援助金を配布する。

この配布が11月に入ってから、しばしば行われている。

バランガイが30あるので、1日では到底終わらない。1日3つのバランガイを実施しても、賞味10日である。


ボランティアの身として、すべてに参加はできるわけもなかったので(日々の活動ありき)、一日だけ、オブザーブさせてもらった。

私の配属先だけでなく、関係部署が一丸となって取り組んできた。

毎日残業をし、土日も出勤していた同僚ら。

順番に並んで援助金を受け取る住民ら




 
 お札はホチキス留めのフィリピン
 
 
LGU総出で行う
 
 
 
 
エマージェンシーシェルターアシスタンスの受付カードの束
 

整列のため警備員も動員
 
 
メイヤーの挨拶、社会福祉開発事務所代表の挨拶などから始まり、この日は2つのバランガイへの配布が行われた。

お金をもらった住民らは大事そうにポケットしまう者もいれば、そのまま手で持っていく者もいた。

彼らにとっては臨時収入。

生活のため、家の補修のため、子供のためなどいろいろな用途に使われるだろう。

心なしか、皆うれしそうだった。

Tuesday, November 17, 2015

ゴージャスすぎるパーティ

知り合いのフィリピン人から、友人の娘さんの18歳の誕生日パーティに誘われて、行ってきた。

フィリピンでは女性は18歳が成人になるそうなので、18歳のパーティは盛大にやるそう。

そしてこのパーティは「DEBUT」(デブーまたはデビュー)というそうだ。

パーティと聞いて、ホームパーティのイメージをしていたのだが、はるかに想像を超えたものだった。


なぜなら、主催者のお母さま(知り合いのフィリピン人の学生時代の同級生)はビジネスウーマンで、このあたりでは知らない人がいないほどの有名人。


いくつものビジネスを手掛けており、そのうちの一つとしてカリボやボラカイにホテルをもっていらしゃるとのこと。


招待客は500名。


日本でも結婚式でここまでの人数を招待するのはかなりのお金持ちか有名人じゃないかな。

そしていくら豪邸とはいえ、収容はできません。。。

ということで、州都カリボにある、大きな会場で行われた。

ここはマニラか?と思わせる豪華な会場。


ファンシーな雰囲気の会場



会場はファンシーな雰囲気に仕上げられていた



主役のお嬢様と友人家族ら。



御馳走の数々。



エビのてんぷらも出てきた。


お嬢様へのギフトの数々


パーティはオールナイトで繰り広げられ、夜中はクラブと化していた。

私は眠気の限界を感じ、夜11時頃退散…

日本ではこんなことはないので、貴重な経験をさせてもらった一夜だった。

Sunday, November 15, 2015

ダブルBirthday Party


今日、11月15日は、職場のボスと、職場の上司のお母さんの誕生日でした。

フィリピンでは、誕生日を迎えた本人がお金を出して、パーティを開きます。


日本だと、本人に家族や友達、同僚などがパーティをしてあげたり、プレゼントをあげたりするけど、フィリピンは逆。

そうホストがもてなす!


お金を持っている人ならレチョン(子豚の丸焼き)やケータリングを使って豪華な料理を振舞ったりするけど、

そこまではなかなかできないので、たいていは、家でご飯をたくさん作ったりしてお客さんを招く。


今日はまず、午前中に隣町に買い出しに出かけた後、お昼12時頃に職場の上司宅へ。

自宅から徒歩5分。

一番最初にバンガに来たときにホームステイした家だ。

子供が8人いる大家族。

今日はいとこ達や上司のお母さん(本日のホスト)や、同僚たちも来ていて、にぎやか。

私が着いた頃にはまだ料理を作っている途中で、できた順から、食べて~と言われた。

スパゲティ、

パンシット(麺)、

マノック(チキン)、

アドボ・ポーク、

ライス、

そしてケーキ!

フィリピン人はとりあえず食べるのが好き。

パーティ、フィエスタというとまず食べる。

そして飲み物なしで、ところかまわず食べる。

(私は水分がないとたくさん食べれないので水を大体持参する)

 
Photo1
主役のお母さんは緑のブラウスを着ていた。


 
photo2
ケーキは3個用意。右の緑のケーキはお初!味が気になる!

photo3
お孫さん(従妹同士)、どっちもめっちゃ可愛い♥
 
 
2時間ほど滞在した後、次の目的地へ。

この日はアクラノ語のレッスンで先生の家へ。

先生は元町役場の職員なので、私の部署の上司やボスのこともよく知っている。

先生に、今日は上司の誕生日だよって伝えたら、

行きましょう! と。

ということで上司の家へ突如、二人で押しかけちゃった。

一応アクラノ語のレッスンという名目で。

すでに何人か同僚らやその子供達が来ていた。

ここではアルコールも解禁。

ブランディーやジンを飲み始める同僚ら。

私は暑いので、水のみ。

フィリピンに来てから確実に飲まなくなった。

アクラノ語、タガログ語で繰り広げられる会話についていけず・・・

ひたすら聴く・・・

所々、英語で説明してくれたりするが、アルコールも入っているので、途中からはほとんどなくなった。

語学を覚えるには、

フィリピン人のボーイフレンド作ればとか、

あいつどう? とか

俺とかどう?とか

既婚者に言われる。(隣に妻がいても平気で言うあたりがフィリピンの男性らしい)




確かに語学の一番の上達方法は彼氏彼女を作るってことだと思っているけど・・・


ここではちょっといいかなと。。。


とりあえずフィリピンでのあいさつは、

いくつ?

シングル?

俺なんかどう?

って感じで来る。


特に外国人のおかげでお金持ちになれると思っているからか、

日本人だと、俺の日本ビザを発行してくれとか

言われる。


日本人の私からすると、フィリピン人の男性で、紳士的な男性はあまり出会ったことがない。

まあ、田舎だからしょうがない。



あーだこーだ話を聞いていたら、暗くなってきたので、退散。


先生もブランディー飲んでしまったから、今日はレッスンなしにしようって。

(そうだよねと 私も思う)



Photo 4
本日の主役(左)と奥様と娘さん


このようにフィエスタやパーティがブッキングするのもフィリピンでは日常茶飯事である。

Friday, November 6, 2015

Fiesta in Polocate

Bangaには、30のバランガイ(Barangay)がある。
 
私の家と職場は中心地のポブラシオン(poblacion)。普段の生活だけだと、ここだけで事足りるので、他の地域は、まだあまり知らない。
 
でも、たまに同僚とバースディランチで遠く離れたバランガイに行くことができる。
 
昨日は、ポロカテ(polocate)というバランガイまで行ってきた。
 
同僚のシェリーとその家族が住んでいるバランガイ。
 
いつも学校帰りに職場で時間を過ごす娘のエンジェルもそこにいた。
 
ポロカテまでの道のりは7キロほど。国道から脇道に入り舗装されていたり、砂利道だったりした道(photo1)をトライシクルで上って行く。
 
女性6人を乗せたトライシクルが
 
水たまりをよけたり、
段差で減速したり、
全力で坂を下り、
全力で坂を上ったり
 
 
キャーキャー言いながらのちょっとしたアドベンチャーだった。
 
 
 
photo1
 
 
Photo2
家の前から眺め

photo3
庭では男性らがお酒を飲んでいた。


Photo4
家の手前にあったセメントで造りかけた建物。
フィリピンはこういう造りかけが多い気がする。
 
Photo5
親戚の子かな?だんだん私に近寄ってきた。
風船もってハイチーズ!
 
Photo6
birthday cake
フィリピン人はカラフルな色が好きみたい。
 
Photo8
同僚シェリー(右)もこの日はドレスアップ
 
エンジェルもこの日は可愛いドレスを着て登場。
 
 
でも写真取り忘れちゃった(;_:)
 
 
次回にこうご期待!

Wednesday, November 4, 2015

お葬式?告別式?それとも…?


今日出社したら、ボスが珍しく、白いTシャツを着ていた。

同僚らも白いシャツやTシャツを着ていて、あれれ・・・

何かあるのかな・・・?


上司が私に言いました。

「今日は、元町長が亡くなって、そのセレモニーがホールであるからね。君も白い服に着替えておいてね。」


他の同僚も、

「後で着替えておいで~」と。


知らされてなかったんですけど・・・


1週間前に元メイヤーが亡くなったということは、フィリピン人からなんとなく聞いていた。

葬儀?セレモニーはいつやるんだろうなと思っていたら、

今日(makaron)でした。

フィリピンでは、人が亡くなると1週間位、遺体を安置しておくそう。

海外にいる親戚や友人が駆けつけられるようにと。 

さすが出稼ぎ大国フィリピン…



始まる前の様子

午後1時、白いTシャツに着替えて、会場に向かうとそこは、白いTシャツを着た役場関係者でいっぱいになっていた。

同僚らと席について、待っていると、

元知事、元町長、現町長、大学総長、政治家らが続々登場。

皆、白い上着を着ている。

フィリピンの有名なピーニャ麻で編まれたものだろう。

会場の中央には故人の遺影が大きく飾られ、 たくさんの花とともに故人の棺桶もおかれていた。
そして、棺桶の両脇には拳銃を装備した警察官が両端に立ち、遺体を見守っている。


司会者の挨拶ともにセレモニーが始まった。途中故人を偲ぶ歌を挟みつつ。。。

メインは偉い方々の故人を偲ぶスピーチ。

これが結構しんどかった。

この日は気温が30度で快晴。

吹き抜けの会場なので、皆、うちわであおぎながらの出席。


おかげでわたくし、熱中症になりかけました。。。


2時間程度でセレモニーは終了。

私たち、一般人はメリエンダ(スナックと飲み物)をもらい解散。

ご家族や偉い方々は、このあと、セメタリー(墓地)へ行くようだった。





ちなみに今日のセレモニーは

お葬式?
告別式?
故人を偲ぶ会?
それとも・・・?



どれだったんだろう?同僚に聞いても明確な回答が返ってこない。

なので、アクラノ語の先生に聞いてみた。

そしたら、これは お葬式ではなく、


「Necrological Service」(ネクロロジカルサービス) ※

というものだそう。


故人が所属または関わっていた団体ごとにサービスを行うもの。

日本でいうと、社会で活躍された人がお亡くなりになった時に、

故人を偲ぶ会みたいなものを開くことがあると思う。

それに近いもの。

ただし、フィリピンでは、団体ごとに行うので、いろんな所で活躍されていた故人であれば、州や町役場等、複数個所で行われるらしい。

 

セレモニーの最中は、服装も白い物を着ていればいいので、皆、下はジーンズやサンダルだった。


子供達がときどき、走り回ったり、野良犬が会場の真ん中にふらったと来たり、 

やっぱり

The Philippine!

と感じてしまった。



本日のBanga

Livelihood Project 視察

昨年からBangaの町で行われている Livelihood Project(生計向上プロジェクト)にようやく参加することができた。





Bangaに赴任してから、PWD(Persons with Disability, 障がい者)の人たちの最終的なゴールとして、自分たちでお金を得るということができればいいなとなんとなく青写真を描いていた。
もちろん、私は新規のコミュニティ開発隊員。
2年の間にそこまでいくつかはわからない。ただ、どういったものか見ておく必要はあると思った。

それに、フィリピンの進んだ町ではすでにこういったプロジェクトが行われているようだったので
取り入れやすいのではないかと思った。

職場の同僚に聞いたら、行っているとのこと。でも日程はまだ決まっていないから、決まったら教えるねと言われていた。

それで、ずっと待っていたのが、ヨランダ被災者へのインタビュー実施などで遅れてしまい、このたび、予定日より一か月遅れて開催することになった。

当日は職場の同僚がファシリテーターをし、州の貿易産業省のスタッフとデザイナーがイニシアティブを取り、トレーニングを進めていた。


以下2日間の内容を記す。

11月3日/1日目
 パグサンハンというバランガイの女性向けにブリー(Buri)を使った製品のアドバンストレーニング。 パグサンハンはバンガの中心地からバイクで15分位のところ。道は農道で、人々は主に農業で生計を立てている。この地域はブリ―がよくとれるとのことである。






同じバランガイの女性だけの集まりということもあり、年長者のリーダー格の女性を中心にまとまっている印象を受けた。



11月4日/2日目
ポブラシオン、リナブアン スルなど複数のバランガイの女性と、PDAOリーダー(Bangaの障がい者組織のリーダー)、MDRRMO(災害危機管理事務所)のスタッフ、女性警察官などが参加し、バンブー(竹)を使った作品のトレーニングを実施。


 

 



1日目と違い、おしゃべりが多く、積極的に意見をのべたり、質問したりする参加者が多かった。


アクラン州はリゾート地ボラカイに近いということもあり、ツーリズムの要素を取り入れ、ボラカイを意識したデザインの提案などもされていた。

参加者は、真剣にデザイナーの話に耳を傾けていた。


Saturday, October 31, 2015

住まい


Bangaでの住まいを紹介する。

通常フィリピン隊員は、ホームステイをする隊員も多いが私は一人暮らしを希望した。

(赴任時、6人の同期隊員のうち4名がホームステイ、1名がルームシェア、私がアパート。)

田舎になると都市部にあるようなアパートはほとんどなく、空いている家もなくホームステイを余儀なくされる場合もある。

私の任地、Bangaも田舎。アパートを探すのは結構大変だった。

勤務先から少し離れたところにアパートがあったが、予算オーバー。

勤務先の近くにあったアパートは、1階でガラス張りになっていて、セキュリティ面で不安を感じアウト。

大学のボーディングハウス(寮)も候補にあったが、学生ではないのでアウト。

最初はホームステイかと思い、あきらめかけた最後に見つけたのが今のアパートである。

1ルームとCR(シャワーとトイレと洗面台)が専有部分。キッチン、廊下、玄関は共用。

1ルームといっても8畳部屋を二つつなげたような広さであり、天井も高い。



窓もきちんとスクリーンがついている。

ただ入り口のドアにはスクリーンがないので開け放しにしようものなら虫が入って来る。

なので、蚊取り線香、ベープマット、日本からもってきたワンプッシュで蚊を撃退して日々過ごしている。


ちなみにアパートのメインゲートは私が来てからどんどんセキュリティ面を強化している。

今までは住民以外も入ろうと思えば入れたが、最近はメインゲート専用の鍵を作り、住民以外、入れないようになった。

また、以前は、野良猫が隙間をくぐって、ごみをあさりに来たり、寝泊りしていたが、、その隙間さえも埋めてしまったので、猫すら入ってこれなくなってきた。


キッチンは1階の共用スペース。ただ、いろんな人が出入りするので、現在私は利用していない。

ワンルームの部屋で料理をしている。

フィリピンの外食は野菜が少ないので、ワンルームでは野菜スープや野菜多めの麺類を作ることが多い。

外食では肉、魚、ご飯などを食べることが多いので、自炊で野菜を摂ることでバランスを取っている。

ちなみにシャワーは水シャワー。 


そして洗濯機はないので手洗いである。

最初は結構な力仕事もあって、大変だったが、最近はシーツや重量感のあるバスタオルも自分で洗えるようになった。

助かっているのは、アパートの屋上に洗濯物を干すことができることだ。


多少、びしょびしょでも干せるし、基本暑いので1日で乾くので助かっている。

 

Sunday, October 18, 2015

この私が住民にインタビュー?!


通常、新規のコミュニティ開発隊員はなかなか最初活動方針が定まらず、模索を続けている。私もその一人である。
同じ島にいる先輩隊員とのミーティングの後、オフィスでの勤務の中で少しずつ、自分を知ってもらうために動き始めてみた。
任地は2013年11月のフィリピンを襲った台風ヨランダの被災地でもある。今でもNGOの寄付で建てられたバンブーハウスに住む地元民、電気のない生活をしている住民など、意外に多くてびっくりした。外国のNGOが農民向けに農具の寄付などを行っている。

その中で、任地では、9月25日から10月8日まで、すべてのバランガイ(日本でいう”自治会、町内会”)向けに、Disaster Assistance family Access Card(DAFAC) の登録のためのインタビューを行い始めた。(実際の所集計後、どういう流れにになっているのかはわからない)

30のバランガイがあるので2週間以上、関係各所は登録のためのオリエンテーション、PCへの登録、登録から漏れた住民からの苦情受付などに追われている。

私の配属先も例外ではなく、朝からたくさんの人が押しかけている。そんな中、カウンターパートからオブザーブしないかといわれ、インタビュー会場のドームへ出かけた。

現地はタガログ語ではなくフィリピンの現地語の中でも発音が難しいといわれるアクラノ語。

当然、私はアシスタントで終わると思っていたが、カウンターパートから英語でもいいのでインタビューをしてくれと言われ、インタビューを始めてしまった。



相手は地元の農民や主婦、ドライバーや高齢者、PWDなどである。年齢、学歴、職業、家族構成、収入、持ち家かどうか、ヨランダ後どんな支援を受けたかなどを聞いていく。

当然、地元の農民に日本語なまりの英語は通じるわけもなく、しょうがなく、両サイドで対応している同僚のアクラノ語のフレーズをみようみまねで話し、所々、タガログ語を入れてインタビューを続けた。

住民とのインタビューは外国人だからと言って怪訝な顔をされることはなく、むしろ双方とも言葉が聞き取れなくて、怪訝(不安?)になることはときたまあったが、最後は、サラマット(ありがとうの意)と言って、インタビューを終えた。 

わからない時は同僚がアシストしてくれたりしたので、本当に助かったし、質問のフレーズもタガログ語、アクラノ語で教えてくれたので、非常に勉強になった。

何十人もフィリピン人にインタビューにする中で、自然と自分の中で発音しやすいフレーズをタガログ語とアクラノ語で使い分けていた。

アクラノ語は、タガログ語や他のフィリピンの現地語で話される "la"の音が、"ea" (ガ)という半母音に変わる。これが、アクラノ語の聞き取りが難しい理由のひとつと思う。

ただ、約2週間このインタビューを続けてきて、何よりも私にとっての収穫は地元民の生活レベル、収入、学歴、などをこのインタビューを通して知ることができたことである。


英語ではなく現地語で話す方が彼らとの距離も近づくし、いろいろなことを知ることができると思う。
彼らの生活は収入から見ると決して豊かではないことも十分理解できた。

(でもフィリピン人はなんとか楽しく生きているように見えた。)

活動は引き続き、模索中だがこのインタビューは私にとって一つの大きなステップになったと思う。



photo1

photo2
 
photo1, photo2 インタビューの様子
 

Tuesday, October 13, 2015

私の要請内容

青年海外協力隊には多くの職種と要請内容がある。

派遣されている国も、アジア、太平洋州、中東、アフリカ、南米と多岐にわたる。

私はその中でコミュニティ開発という職種で、町役場の社会開発福祉事務所に配属されている。

日本では行政機関や社会福祉関係の仕事に携わったことがないため、なぜ!?と思われる方も多いかと思う。

実はコミュニティ開発は、看護師や教育などと比較して、専門の資格や経験がなくてもトライできる門戸の広い職種なのである。

もちろん、同じ職種のコミュニティ開発隊員には、新卒の隊員や社会人経験を経て参加する隊員が大半だが、その中には今までの職歴や経験、特技などを生かして、派遣されている隊員も多数いる。

ちなみに私の職歴は、IT関係の会社と保険のコールセンターのみ。苦手なコンピュータは、IT会社勤務時代に人並みのスキルを身に付け、コールセンターでは電話対応能力をはじめとするこれまた人並み程度ののコミュニケーション能力を身に付けた。
 ※大学は文系で法律や政治、異文化論を専攻してきた。

このバックグラウンドが、どうJICAの面接官に写ったのかわからないが、社会福祉系のコミュニティ開発隊員としての合格をもらい、今ここに派遣されているのである。


前置きはさておき、私の要請内容を見てみよう。

  1. 地域における障がい者の生活状況に関するデータ収集やファイリング支援を行う
  2. 生活向上プログラムや就業支援のプログラムの企画・調整支援を行う
  3. 障がい者支援に関するセミナー等の企画・調整支援を行う
  4. バリアフリー環境作りの実行支援を行う
  5. 福祉に関係する「法律や条例」を遵守していくためのモニタリング支援を行う

これらをいきなり読んでも何のこっちゃという感じだろう。
私もそうだった。

派遣前訓練の事前提出課題でこれらを英訳する課題があったのだが、本当にどう訳していいのか相当頭を悩ませた。

そして、派遣前訓練中、そして任地に来た当初も、これらは一体どういうことを意味するのだろうと
考えていた。

だが、任地にてもうすぐ2か月になろうとしている。

その間に先輩隊員の任地への視察、町民へのインタビュー、 ファイリングの手伝い、住民との対話、研修への参加、そしてここのでの生活を通して、なんとなく、それぞれが何を意味するのか
わかってきたような気がする。

自分の使命を理解し、そのためにできる限りのことを行っていく中で、ふと、自分の要請内容を見直したときに、内容そのものが自分の胸にすとんと落ちるような感覚が生まれたことに、逆に驚いた。



photo1  市場の入り口


photo2 Bangaのシンボル Clossing

Saturday, October 3, 2015

9月分の生活費


任地パナイ島アクラン州バンガ町に赴任して1ヶ月半が経った。

マニラにいたころに比べ、格段に使うお金は少ない。

理由としては
  1. 田舎なので、大きなスーパーがない。生活用品は小さな食料品店で買うか、週末州都へ買い出しに出かける程度。
  2. 野菜、肉、魚はマーケットで買えるため、スーパーより2割ほど安い
  3. レストランらしきものもほとんどない
  4. 生活圏が徒歩圏なので交通費もほとんどかからない。かかるのは週に数回州都までのジープニー (※1)代程度。
  5. ホスピタリティあふれるフィリピン人の誕生日パーティに呼ばれたり、フィリピン人の家でご飯をごちそうになることが多い。

 等が考えられる。


そして、生活は以下の通り算出された。

  1. 食費 food                       4,302 ペソ
  2. 日用品 commodities            1,314 ペソ
  3. 交通費 transportation       640 ペソ
  4. 携帯代 mobile prepaid card    700  ペソ
  5. 交際費 social expense     1,490 ペソ
  6. カフェ代 cafe                         270 ペソ
  7. インターネット代  internet            0   ペソ 
  8. 書籍代 books                        0   ペソ
  9. 電気代 electric bill         354 ペソ
  10. 家賃   house rental fee      5,000 ペソ
  11. 水道代  water bill                  200 ペソ

1~9 変動費用(variable expenses)のみ 9,070 ペソ
1~11 合計 (total)                              14,270ペソ


<以下各項目についてコメント>
  1. 食費は昼食が一食平均40ペソ。夕食の材料費や朝食のバナナ、パン、ヨーグルトは、マーケットで購入。
  2. 今月はエレクトリックカップ(電気湯沸し器)、洗剤、柔軟剤、トイレットペーパー、蚊取り線香などを購入。
  3. 基本的に州都までのジープニー代(片道14ペソ、)トライシクル(片道8ペソ)がメイン。9月は歓迎会でバスの利用があったため高め。
  4. JICA支給携帯の追加プリペイドカード代
  5. 任地の先輩隊員らとのご飯代
  6. 州都にあるカフェ。勉強したりまったりしたり、週末行くことが多い。
  7. アパート、職場とも弱いながらWIFI環境あり。
  8. 書籍購入は特になし
  9. フィリピンは電気代が高いので、なるべくエアコンの使用をさけて節約に努めた。
  10. 家賃は固定
  11. 水道も固定

 現地の人はお菓子やスナックでもスーパーで袋詰めされているものではなく、路上で売られている安いものを買っていることが多い。

ちなみにフィリピンは乳製品が高い。1Lの牛乳が90ペソ(※2)で、輸入品であることが多い。

私の健康バロメーターであるヨーグルトも1パック、33ペソと日本とあまり変わらない。ヨーグルトは自分の健康管理を考えると割高であるが購入してしまっている。

1か月の生活費は、家賃を除いて1万ペソ以内に抑えたいと思っていたので、まあまあ上出来だといえるが努力次第ではもう少し節約できると思う。

普段の食事で自分の好きなものは食べれないので、せめて、ヨーグルトくらいは日本にいたときと同じように食べたい。

そうでなければ、ストレスが溜まってしまうし、心と体の健康によくない。

生活用品は意外に防蚊対策とペーパー類のコストがかさむことが判明。

防蚊対策は、蚊取り線香、ベープマット、OFF(フィリピンの虫除けローション)などである。


ーーーーーーーーーーー
 (※1)ジープニー:フィリピンで主要な交通手段の一つで米軍のジープや軽トラックを乗り合いバス風に改造したもの。窓ガラスはなく、田舎では町と町を結ぶ重要な交通手段。バスよりも値段は安い。軽トラックタイプは、モルティカブ(multi cab、photo1)ということが多い。

もう一つの庶民の重要な交通手段はトライシクル(trycycle、photo2)である。持ち主の好みでいろいろなデザインの物がある。こちらは新品で派手目デザインのトライシクル。バランガイごとに色が決まっているらしい。乗客は最大8人位まで乗せられる。町内、近隣都市間を結ぶ。



photo1: Banga ~Kalibo間を走るモルティカブ


photo2: トライシクル


(※2)1ペソ≒2.73円(2015年8月現在)

Wednesday, September 16, 2015

ブログタイトル?

ブログ開設にあたって、タイトルに悩んだ。

Banga(バンガ)にかけて、「ガンバ」を入れて、「バンガでガンバ」にしようかとも悩んだが、

ちょっとセンスないなーと思って、「Banga the Beautiful」を 入れたタイトルにしました。

JICAボランティアとして派遣される世界中の任地は、日本にも知られていないところが多いと思う。



最初に任地について、インターネットで調べたときも全然情報が出てこなかった。

でも赴任して調べていくうちに、Bangaは、以下の2点が判明した。

  1. フィリピンで何度かもっとも美しい町に選ばれたことがある。
  2. 日本占領下の時代、何百人もの地元民が殺された。
1について
初めて任地にきたとき、タウンホールを中心とした景観は美しいと思った。これなら美しい町に選ばれていた過去があるのもうなづけた。

タウンホールの職員も、「Banga the Beautiful 」と書かれたポロシャツやTシャツを着て仕事をしている。

合言葉みたいだし、いいなと思った。


⇒ということでタイトルに採用!



2について

これはわたしにとって、結構衝撃的だった。日本人を敵視したりしないのだろうかとひそかに不安になったりもしたし、こんなことを日本人が昔やっていたと思うと、なんともいえない気持ちになってきた。
でも事実は事実。受け入れる必要がある。そのうえで活動していこうと決めた。
ちなみにこれについては別途、「aeaw aeaw (アガウアガウ)」というタイトルで別記事を立てている。

 
 
photo1:町のシンボル’タウンホール


photo2: 町の中心は道が広くゆったりしている。青い空と雲と緑のバランスが絶妙。


photo3:Dorm いつも子供が遊んでいたり、人々の憩いの場でもある。タウンホールの目の前。
 


Tuesday, September 15, 2015

任地紹介~Banga


任地は フィリピンのパナイ島 アクラン州 バンガ町 というところである

住んでみて思ったのは”ザ フィリピン”の田舎町と言ったところか。



マニラやロスバニョス(タガログ語研修を受けたフィリピン大学があるところ)では公用語のタガログ語が話されているが、ここアクラン州は、アクラノ語が現地語として話されている。


町の名前は「Banga」と書くが、 ローマ字読みの日本語で「バンガ」と発音しても、現地の人には首を傾げられる

発音のコツは「バァンガァ」と、鼻にかかった感じで発音する。

そうすると、トライシクルのおっちゃんもなんとか理解してくれる。

アクラノ語は半母音を使うユニークな言語とされ、フィリピンの数ある現地語の中でも発音が難しいとされている。アクラノ語については別途記事を立てるのでUP次第参照してね。


【BANAGA INFO】
  • 人口: 約3万8,000人。
  • バランガイ(※)の数: 30   
  • 言語:アクラノ語、タガログ語、英語
  • 平均気温:25度位
  • 気候は熱帯モンスーン気候で、季節は雨季と乾季のみ。雨季は7月~11月。
  • アクセス:マニラからのアクセス;マニラから、カリボ(KALIBO)行きの飛行機に乗り、1時間。そのあと、カリボから車で20分。
  • 近くの観光スポット:ホワイトサンドで有名なボラカイビーチが2時間ほどで行ける。

  ※バランガイは日本でいう自治会、町内会みたいなもの。 フィリピンでは町や市は基本的にバランガイから成り立っている。


     
    そして、地図でもっと詳しく見てみると・・・

     
★地図で見るフィリピン、そしてBanga★

北のルソン(Luzon)島に首都マニラが位置している。
パナイ(Panay)島はマニラから370キロほど南下した「三角形」の島(別名:”おにぎりみたいな島”)。
北はミンドロ(Mindoro)島、西にはスールー海を挟んで パラワン(Palawan)諸島があります。その東側に西からパナイ島、ネグロス島、セブ島がある。
パナイ島はフィリピン全土から見ると、中心部に位置している。
またフィリピンは、大きく3つに分けると、ルソン地方、ヴィサヤ地方、ミンダナオ地方の3つに分けられる。
パナイ島はヴィサヤ地方でも西側に位置しているため、西ヴィサヤとも言われる。




パナイ島は4つの州(AKLAN、CAPIZ、ILOILO、ANTIQUE)から成り立つ。
パナイ島の経済の中心地は南部のILOILO(イロイロ)州である。
州都のイロイロ市の人口は50万人を超える中堅都市。ここにいけば、マニラに出なくても
必要なものが大体買えるのだ。




アクラン州は北パナイとも呼ばれ、州都はカリボになる。

  
 
 
バンガ(Banga)は, 州都カリボから10キロほど行ったところの内陸に位置している。
 
 
ちなみに州都のカリボ(Kalibo)は人口8万程度の町で、1月の第4週にに行われるお祭り「アテアテハン( Ati-Atihan Festival )」が有名である。
 
(⇒この記事はその時期がきたらレポート予定)
 
 

Saturday, September 12, 2015

Anini-y(アニニイ)


赴任早々、先輩隊員らが私たちパナイ島の新隊員4名のため、9月の第1週に歓迎会を開いてくださった。

パナイ島はフィリピンの他の島に比べ隊員数が多く、私のいるアクラン州だけで、4人いるし、イロイロ州には9人、その他の州を含めると、19人の大所帯である。(2015年9月現在)

近くに隊員がいるのは非常に心強い。

パナイ島のリゾートと言えば、ボラカイが有名だが、今回は先輩らが発掘してくださった

パナイ島の南端にある Anini-y(アニニイ)というところで行った。




フィリピン人くらいしか知らないリゾート地でお値段も手ごろ。

そしてなんといっても海が本当にきれいだった。


1泊2日の歓迎会。

1日目は、岬からバンカーボートで行ったところにある無人島の海でシュノーケリング。
サンゴを傷つけないように恐る恐る浅瀬を歩きながら、先輩から借りたシュノーケリングで海の中を覗いてみた。
何年振りのシュノーケリングだろう・・・ワクワクしっぱなしだった(^^♪

夜はフィリピン料理を堪能。

夜は途中大雨に見舞われたりもしたが、砂浜でお酒をのんでおしゃべりして楽しかった。

2日目は、任地までが遠いということもあり、朝食後、帰途に向かった。

パナイ島の西側の海沿いを北上して帰ったのだが、車窓がきれいだった。

アクラン州とはまた違った風景。

ちなみに、ここまでの移動は、カリボからバスでアンティケ州経由で5時間近くかかる。イロイロ経由で向かっても同じくらいかかる。

でも行くだけの価値はある。


photo1: sunset 夕焼けもきれいだった(^^♪


photo2;温泉。ほぼプール。


photo3: サンゴの砂浜と隊員が海で採ってきたウニ
 

photo4:ヤドカリさん。お家になる貝はカラフル♪


photo5: 無人島でくつろぐ先輩ら。
 

Photo6:無人島到着のご一行。海が透明で海底が透けて見える(^^♪


photo7: 帰りのバスターミナルでみかけたカラバウ(水牛)

photo8: 車窓から。指が写ってしまった。