Thursday, March 24, 2016

いよいよ活動が本格化?! 


フィリピンに来て8ヶ月、任地バンガに配属されて7カ月。
新規のコミュニティ開発隊員ということもあり、最初は右往左往、試行錯誤だったが最近、ようやく動き始めた。

1月から、配属先と話合いながら、少しずつ準備を進めてきた。障害者のリサーチのプレゼンや、関係者を招いてのNHEフォーラム(※NHE=Non Handicapping Enviromnentの略)、30のバランガイ(最小行政単位、日本の町内会みたいなもの)へのレターのデリバリー、インタビューシートの準備などを行ってきた。

障害者支援は、国家組織の力を借りて、縦割り行政的に行うことも可能だと思うし、配属先は、アクセシビリティや障がい者に関するセミナーにも関心を持っている。ただこれらは5月に大統領選挙を控えたフィリピンでは、計画するのが難しく、それまで、ボランティアとしてできることを考え、障がい者の生活状況やニーズ調査を家庭訪問してインタビューすることからまず行うことを提案した。
そして先週から障害者のお宅へ1件1件訪問し、インタビューをしている。任地はヨランダ(2013年11月にフィリピンを襲った台風)の被災地のため、家は全壊、半壊が多く、NGOの建てたバンブーハウスに住んでいる人がほとんどだ。

そして障害の種類も様々で、目が見えない人、耳が聞こえず話せない人(Deaf Mute), 肢体障害、ダウン症、精神障害など。。。
5日間で60人近くを訪問した。
訪問するたびに、日本の障がい者と比べたり、障がい者の家族に共感したり、驚いたり、、、考えさせられることが本当にたくさんあり、寝付けない時もある。(フィエスタの騒音と相乗効果だ)

  • 生まれたときからDeaf Muteで、ずっと家にいる76歳の男性と同じくDeafの妹。彼女は兄より活発で一人で出かけられる。
  • 同じく生まれたときから障害を持っていて、部屋から一度もでたことがない51歳の女性。筋力が十分発達せず、一人で歩くことができない。
  • 18歳で事故に遭い精神に障害を追ってしまい引きこもりの32歳の男性。この男性の父親は息子の不幸を悲しんでいたけど、もし息子が元に戻ったら、兄の住む外国に一緒に旅行に連れていってあげたいといっていた。
  • 台風フランク(2008年)で家が流され、そのショックで脳こうそくを患い、左半身が不自由な69歳の男性。兄弟所有の家に仮住まいをしているが、いつか自分の家がほしいと涙ながらに語ってくれた。
  • 幼少のころにポリオを患い、右足が不自由だが、自転車を乗りこなして、農業で生計を立てて子供の学費を稼ぐ69歳の男性。
  • ダウン症のため学校へいったことがないが、地域で活発な働き者の31歳の女性。
  • 知的障害を持っているが、手伝うのが好きで建築現場で男性と一緒に働いている50歳の女性。
  • 同じく、deafで教育を受けたことがないけど、ヘアカットが上手な家族からの絶大の信頼を得ている働き者のイケメンの30歳男性。
  • そして、高齢により関節症を患っていて耳が少し遠いが元気な98歳の女性…等
障がい者は半分くらいが高齢者(60歳以上)だという事実と、想像以上に障がい者の数が多いことを目の当たりにした。バランガイの担当者から、ここにもいるから、後でインタビューしてといわれたり、どんどん障がい者が出てくる。

インタビューして思ったのは、血縁や、コミュニティに守られながら障がい者たちが生活していること。家族は教育を受けたことがなくても、収入が得られなくても、それで満足?しているように見えたし、このままで十分幸せそうに見えたりもした。もちろん、衛生状況や、住居環境が不十分で、食糧や薬のサポートがほしいという家族もいる。

ボランティアとして、インタビューをさせてもらっている。そしてどんな支援ができるのかといろいろ考えてみるが、まだまとまらない。とりあえず、草の根支援でできるところまで、インタビューを続けたいと思う。


1軒ずつまわってインタビューをする


外でインタビューしていると、興味津々で集まってくる集落の人達


この先に家があるのかという道なき道を進む

Sunday, March 13, 2016

NHE FORUM in Banga


NHE とは、Non Handicapping Environmentの略である。

もとはJICAの技術協力プロジェクトとして、パナイ島のイロイロ州で行われたプロジェクトである。

簡単に言えば、障害者にやさしい町づくりといったところだ。


任地に赴任してから、活動方針を決めるため、配属先のボスと何度も話し、NHEというプロジェクトをバンガでもやろうということになった。

その正式なアナウンスともいうべきか、コミットメントともいうべきものが、

このNHE FORUM である。

このプログラムを実施するにあたり、ボスはNCDA(National Council Disabilities Affairsの略、国家福祉局)に依頼をかけていた。 (1)

また町全体の底上げを図るなら、町全体の障害者やその家族について知っておく必要がある。

そのために、私自身、JICAボランティアとして、私(JOCV)はバランガイにでかけ、障害者の家庭訪問でのインタビューをしたいとボスに伝えていた。 (2)


(1)も(2)も、もっと早く実施/スタートさせたかったのだが、NCDAの訪問キャンセルによる延期、1月2月は、JICAの公式行事などがあり、なかなか任地でじっくり、活動に専念することができなかった。

だから、NHE Forumの開催は、私にとって、"ついに!!"という思いでいっぱいだった。


このとき初めてBangaの障害者団体のメンバーに会え、ようやく顔合わせができた。


これから活動していく障害者データのプロファイリングのためへの家庭訪問の下準備も兼ねていた。










Sunday, March 6, 2016

初対面のフィリピン人のあいさつとは?

フィリピンに来て8ヶ月が経とうしている今ではすっかり慣れたが、

欧米や日本ではタブーとされる初対面の人との挨拶の内容がフィリピン人にはある。


以下フィリピン人との挨拶項目を書きだしてみる。

①あいさつ
②名前
③年齢
④結婚しているか。独身か?
⑤仕事は?
⑥給料はいくらもらっているのか?
⑦どこに住んでいるか
⑧何人で住んでいて、家賃はいくらか?

等々。



日本人からしたら、結構失礼だと思うことも結構普通に聞いてくる。

フィリピン人によってどのトピックに食いついてくるかは、人によって異なるが一番いやなのは、

男性との会話。


何で独身なんだとかとか、いつ結婚するのかとか、かなりプライベートなことまで初対面で聞いてくる。

特に田舎。 

島から出たことない男性とか、出稼ぎで、海外で働いていた男性で特に中東付近に出稼ぎに行っていた男性とか、失礼はなはだしいことがある。

島から出たことない男性は、大人になったら結婚して子供をもつことしか考えていないように見受けられる。

中東付近の出稼ぎ経験者は、なんか女性蔑視の話がたまに混ざっていて不愉快に思うこともある。

この手の質問は、時として一人の外国人女性として不快に感じることがある。

日本へ出稼ぎに行っていた人とか、欧米とつながりがある人はそうでもないんだけど…


そもそも自分が答える答えないはその個人の自由だと思っている。

(それを言うのは失礼だから、適当にはぐらかす)

フィリピンはカトリックのお国柄、離婚が認めれていない。

だから、愛情がなくなっても形式上は結婚しているが、他の人とくっついたり、他の人との間に
家族を設けている人もいる。

裁判を通じていろいろな手続きを踏めば、自分が結婚していない状態に戻すことも可能のようだ。

既婚者でこういう話を持ち掛けてくる男性は、今の結婚生活に幸せを感じていなくて、新しい出会いを求めているように見える。

自分はリセットしたいんだ~ってね!

でもフィリピンでは履歴書に自分の宗教を書いたり、家族、両親の名前と職業まで書く。

縁故というか、バックグラウンドを大切にしている気がする。

フィリピンの田舎の職場環境

東京のIT企業や保険会社で勤務をしていた私が、フィリピンのど田舎の町役場の社会開発福祉事務所に配属されて、早6カ月が過ぎた。



フィリピンと日本の違いを挙げたらきりがないが、ここでは私の職場について簡単に紹介しておく。

フィリピンはいわゆるトップダウン社会、階級社会ともいえる。

上司の発言が絶対なのである。


町役場の職員は、基本的にコネ採用?!である。 

私の職場もナンバー2の女性がいるが、彼女も妹も一緒の職場で勤務している。

そして、ナンバー2の女性の母親もかつては、同じ町役場の会計部門で働いていたという。

上司は、町でも有名な家柄の出身。甥も同じ職場でエンジニアとして勤務。

上司の兄弟らは、町の政治家、警察官、学校の先生など、要職を務めている。

ちなみに職場にいるコンピュータ技術の男性は、他部署の女性の親戚とのこと。

勤務している人も町の中では裕福な方に属する人が多い。

若い女性職員もいるが、彼女もコネ採用。祖母がバランガイのキャプテンだったりする。

血縁関係がらみが多いのにはびっくりした。


上司の権力が絶対であるということはつまり、汚職とかあんまりよくないことも起きやすい。

上司の配偶者が職場に入りびたり、他の職員にちょっかいを出したり、いやがやらせをしたりしても、上司の権力が絶対なので、みんな我慢している。

家族みたいな関係だという同僚もいるが、私としては公正さに欠けると感じている。

同僚の子供の出入りも日常茶飯事。母親のお手伝いをしたり、子供同士で遊んだりする。

フィリピン人は他人の子供に寛容である。

職場のナンバー2の配偶者が1歳の末娘を連れて、オフィスに入り浸っている間、同僚らがその子の相手をするのも普通の光景である。

小学生以上になると、コンピュータの使い方を覚え、勝手に YouTubeをみたりしている子供も以前は多くいた。

親が時間があくとFacebookでチャットするのをみてれば、PCであそぶのもOKだと子供は当然思ってしまうだろうね。

日本人と違い、フィリピン人は突然歌いだす。うたいながら仕事をする同僚もめずらしくない。

気分がのると仕事もはかどるらしい。

そして写真が好き。職場でも写真を一緒にとって、Facebookにアップする。


こう書いてみると、日本とだいぶ違っていることの気づく。

Saturday, March 5, 2016

かの有名なリゾート地へ行ってみた♪

フィリピンのリゾート地。

セブに次ぐリゾート地といえば、ボラカイである。


ホワイトサンドビーチで有名なボラカイ。

アクラン州の重要な観光資金源、ボラカイ。

赴任してからまだ一度も行けてなかったが、このたび、マレーシアからの友人のフィリピン訪問に合わせて、私も行ってみることにした。



ボラカイの写真


ボラカイは私の住むアクラン州にある。といっても、バスと船で大体2時間半はかかる。
待ち時間なども含めると、3時間はみておいた方が無難である。








ボラカイ島東側。2月頃はこちらが波が強く風も強い。
カイトサーフィンをやる人がたくさんいる

ボラカイ島西側。
スターバックスから撮影。海が藻で緑になっているのがちょっと残念



ダイブショップの看板。ダイビングショップもたくさんある。


初めてのボラカイ。
私は何もせず、視察目的で町を歩いて回った。
友人はダイビングしたり、カイトサーフィンしたり、エンジョイしていた。


スタバもあるけど、マニラより高い。
レストランのマニラ価格。
高いわりにおいしいかどうかというと、あたりはずれもある。
そして、なんと言ってもホテルの数。

建設中のホテルもたくさんあった。
開発が進んでいる印象を受けた。

それでもやっぱりホワイトサンドビーチは美しい。

海だけ見に日帰りで、そのうち来ようかなと…