フィリピンに来て8ヶ月、任地バンガに配属されて7カ月。
新規のコミュニティ開発隊員ということもあり、最初は右往左往、試行錯誤だったが最近、ようやく動き始めた。
1月から、配属先と話合いながら、少しずつ準備を進めてきた。障害者のリサーチのプレゼンや、関係者を招いてのNHEフォーラム(※NHE=Non Handicapping Enviromnentの略)、30のバランガイ(最小行政単位、日本の町内会みたいなもの)へのレターのデリバリー、インタビューシートの準備などを行ってきた。
障害者支援は、国家組織の力を借りて、縦割り行政的に行うことも可能だと思うし、配属先は、アクセシビリティや障がい者に関するセミナーにも関心を持っている。ただこれらは5月に大統領選挙を控えたフィリピンでは、計画するのが難しく、それまで、ボランティアとしてできることを考え、障がい者の生活状況やニーズ調査を家庭訪問してインタビューすることからまず行うことを提案した。
そして先週から障害者のお宅へ1件1件訪問し、インタビューをしている。任地はヨランダ(2013年11月にフィリピンを襲った台風)の被災地のため、家は全壊、半壊が多く、NGOの建てたバンブーハウスに住んでいる人がほとんどだ。
そして障害の種類も様々で、目が見えない人、耳が聞こえず話せない人(Deaf Mute), 肢体障害、ダウン症、精神障害など。。。
5日間で60人近くを訪問した。
訪問するたびに、日本の障がい者と比べたり、障がい者の家族に共感したり、驚いたり、、、考えさせられることが本当にたくさんあり、寝付けない時もある。(フィエスタの騒音と相乗効果だ)
- 生まれたときからDeaf Muteで、ずっと家にいる76歳の男性と同じくDeafの妹。彼女は兄より活発で一人で出かけられる。
- 同じく生まれたときから障害を持っていて、部屋から一度もでたことがない51歳の女性。筋力が十分発達せず、一人で歩くことができない。
- 18歳で事故に遭い精神に障害を追ってしまい引きこもりの32歳の男性。この男性の父親は息子の不幸を悲しんでいたけど、もし息子が元に戻ったら、兄の住む外国に一緒に旅行に連れていってあげたいといっていた。
- 台風フランク(2008年)で家が流され、そのショックで脳こうそくを患い、左半身が不自由な69歳の男性。兄弟所有の家に仮住まいをしているが、いつか自分の家がほしいと涙ながらに語ってくれた。
- 幼少のころにポリオを患い、右足が不自由だが、自転車を乗りこなして、農業で生計を立てて子供の学費を稼ぐ69歳の男性。
- ダウン症のため学校へいったことがないが、地域で活発な働き者の31歳の女性。
- 知的障害を持っているが、手伝うのが好きで建築現場で男性と一緒に働いている50歳の女性。
- 同じく、deafで教育を受けたことがないけど、ヘアカットが上手な家族からの絶大の信頼を得ている働き者のイケメンの30歳男性。
- そして、高齢により関節症を患っていて耳が少し遠いが元気な98歳の女性…等
インタビューして思ったのは、血縁や、コミュニティに守られながら障がい者たちが生活していること。家族は教育を受けたことがなくても、収入が得られなくても、それで満足?しているように見えたし、このままで十分幸せそうに見えたりもした。もちろん、衛生状況や、住居環境が不十分で、食糧や薬のサポートがほしいという家族もいる。
ボランティアとして、インタビューをさせてもらっている。そしてどんな支援ができるのかといろいろ考えてみるが、まだまとまらない。とりあえず、草の根支援でできるところまで、インタビューを続けたいと思う。
1軒ずつまわってインタビューをする
外でインタビューしていると、興味津々で集まってくる集落の人達
この先に家があるのかという道なき道を進む