2015年7月から2年間、フィリピンのパナイ島アクラン州に派遣されている海外青年協力隊(アラサー女子)のブログ。新規コミュニティ開発隊員として、地域に根差した活動を模索中。現地のでの生活や活動について報告していきます♪
Tuesday, July 25, 2017
Good bye Banga~カウントダウン
6月28日に任地からマニラへ移動した。
ここでは6月28日の1週間前の6月21日からの動きを備忘録として、下記に残そうと思う。
◆6月21日(水)
任地で最後のヨガ!ということで、ヨガをしにカリボに出かけた。
この日は国際ヨガディーということで、ヨガ関係者がいろいろなイベントをしており、
私の先生もホールを貸切って、フリーのオープンクラスを開催していた。
体的には前日や前々日も料理をしていたので疲れていたけれど、ヨガをすればリフレッシュできるかなと。
でも何といっても最後に先生に会えて挨拶できたのでよかった♪
◆6月22日(木)
配属先にデータを提出。引継事項など、CPに軽く伝えてほぼ終わり。
◆6月23日(金)
隣町リバカオにいる同期隊員のデシピに参加。ジープに揺られ、山間の村へ行った。
同期隊員の配属先の人たち、地元住民たちとボランティアたちによるパーティ。
同期隊員の用意した材料でいくつか日本食を作る。
帰りは雨が降る前に山を出た。
◆6月24日(土)
昨日の疲れで一日中、家にこもっていたけど夕方だけ、同任地の新隊員の同僚の親戚のパーティに招かれ出かけた。
昨日に続く、フィリピン料理でお腹がいっぱい...
おまけに腰や背中もだるい...
◆6月25日(日)
若干腰もよくなってきたので、荷造り片づけに拍車をかける。
夜は先生の家で最後の日本食を振舞う。
◆6月26日(月)
この日もフィリピンは急に休日となった。片づけ、荷造りを休み休みやる感じで終わった。
あ、でもランチだけはカリボまで出かけた。
レアジョブの先生をしているというフィリピン人のお友達2人とカリボ隊員で日本食レストラン。
◆6月27日(火)
午前中にアパートの斜め向かいのオーナさんの従妹のおばちゃんに最後の挨拶に行く。プレゼントとして、日本から持ってきて、任地でもずっと使っていた目覚まし時計をあげた。
あとは、新隊員が私のいらない荷物を引き取りにきた。
配属先に行って、単独でメイヤー(町長)に挨拶。メイヤーは50代後半の美魔女。
最後、配属先でつらかったことを伝え、2代目のボランティアが来た時に苦労しないよう努力してくれるとうれしいと伝えた。
(⇒最後だから、言いたいことを言ってしまった感じ)
お世話になった町役場の各事務所に行って最後の挨拶。みんな、今日が最後だと思っていなかったらしく、若干の混乱を呈す。(笑)
メイヤーには今日、アパートを引き払い、空港近くのホテルに宿泊予定と伝えたにも関わらず、
バンガでディナーをしたいから招きたいとのお言葉をいただく。
夜は隊員らと最後のディナーの予定だったので、お誘いはうれしく思うが、先に予定があるので…とお断りをした。
にも関わらず、配属先を巻き込んでのちょっと大騒ぎになっていた。
まずナンバー2の女性同僚からは、メイヤーがディナーに招待をしているとメッセージが入る。
そこに現地語の先生(元職場のOG)が間に入る。夜のディナーは前々から約束していたものだから、それを断ることはできないと思うよと、私の援護に回ってくれた。
それに対し、ナンバー2の女性同僚からは、先週、メイヤーはずっと出張で不在だったのよ、予定なんかたてられなかったのよと、2回も3回も言う。
結局、メイヤーからは、任地のお土産を最後持たせたいから、ホテルの部屋番号教えてほしいと言われ、収拾がついた。
ちなみに最後のアパート引き上げの直前に、現地語の先生が、渡したいものがあるからと言ってやってきた。
ちょうど片づけ途中だったので、そこでいらない不用品を持っていってもらった。
そして、最後、配属先の車でホテルまで送ってもらった。
CP、ナンバー2、現地語の先生が同乗して見送ってくれた。
ホテルにチェックイン。
はあ、ついにバンガを引き上げた。
やっと任地を出ることができた。
それにしても最後まで、振り回されたバンガの人たち。
はあぁ~ 本当に疲れた…
そんな気持ちでいっぱいだった。
回想~日本食を振舞う個別デシピ~
今日は7月25日。帰国して約3週間。日本の夏を久々に満喫している。
3週間もたつと、心も体もだいぶ、疲れが取れてきて、フィリピン時代を冷静に振り返ることができるようになってきた。
もちろん、フィリピン時代に経験したことに対する思いも、時間を経るごとに変わってきている。
ここでは、今帰国したから言えることを少しだけ書き記しておこうと思う。
タイトルにもあるように、任期終了間際に個別デシピを行ってきた理由とは?
任期終了間際になり、家族の容態が思わしくないことがわかり、一時期、任期短縮も考えていた。だから、配属先には自分のデシピはやりたくないと伝えていた。
でも結果、家族の危篤で一時帰国をして、任地に戻ってきたあと、個別にデシピを行っていた。
もともとの発端は、アパートのオーナーさんのアメリカ移住。
ほぼ私が任地を去るのと同時期だったので、一緒にしようということになった。
彼らからのリクエストは日本食!
ちょうど、日本の友達がフィリピンに遊びにくることになっていたので、日本米などの食材を持ってきてもらったので材料はそろっている。
新隊員も来たので、彼女にお手伝いしてもらい、巻きずし、ポテトサラダを作った。
日本からもってきた小瓶の日本酒もふるまってみたり…
そのあとは、オンライン英会話の先生をしているフィリピン人のお友達、そして、職場の元同僚で一番仲良くしていたフィリピン人らを招いてミニデシピ。
あとはカナダ人のお宅でお好み焼きやオクラと海藻を使ったサラダなども作った。
出張サービス(ほかの隊員のデシピやパーティのために作った)を含め、いったい何回作ったのかと思うくらい、最後はたくさん作っていた。
それだけ日本食が恋しかったのと、任地で食べる料理には飽き飽きしていた自分がいたのだと思う。
でも配属先では最後までデシピはやらなかった。
余裕がなかったのは言うまでもないが…
余裕があるってどういうことなのか、その時はわからなかったけど、今、日本に帰国してみるとわかる..
もっと余裕をもって、取り組めばよかったのかなと後悔することもあるけれど...
でも後悔ばかりじゃ先に進めない...
一つの経験として、次の人生に生かしていこうと思う。
Monday, July 24, 2017
活動もついに終わる
6月28日に任地を出ることがJICAフィリピン事務所からの連絡で決まった。
なんだかんだ、最後はドタバタしていた。
そしていつの間にか、活動は終焉を迎えていた。
ボランティアの活動は自分ではじめ、自分で終わらすものなのだなと感じた。
日本の会社で働いていた時みたいに、有給消化して、徐々に仕事の引継をしていくのとはちょっと違う。
最後は一人一人に手紙でも渡そうか?とかいろいろ考えていたけど、引っ越しもあり、マニラに上がってからのこともあり、結局それはできなかった。
最後は障害者のデータと写真、分析した資料などをCPにCD-ROMに焼いて渡した。
自分がいなくなってから、どうなるだろうとかいろいろ考えて、いろいろ伝えたいことも出てきたが、最小限にとどめることにした。
資料を残すことも大事だが、彼らには日本人ボランティアが2年ここにいたことで、意識が変わったりすることも大事だと思う。
任地の人たちの意識を変えることはできなくても、彼らの遠い記憶の中に、あんな日本人がここにいたなと思いだしてもらうだけでも、十分自分はヒーロー?(一応女なのでヒロインか?)になれたのではと思う。
学校に通っていた生徒の時だって、先生から習った授業の内容よりも、その先生の心意気とか、考え方をむしろ鮮明に覚えていたりする。
仕事をしていた時もそう。尊敬できる先輩、上司も仕事内容よりも仕事に関する考え方ややり方に感銘を受けた人の方が覚えている。
そういうスタンスでいいのかなと思う。。。
なんだかんだ、最後はドタバタしていた。
そしていつの間にか、活動は終焉を迎えていた。
ボランティアの活動は自分ではじめ、自分で終わらすものなのだなと感じた。
日本の会社で働いていた時みたいに、有給消化して、徐々に仕事の引継をしていくのとはちょっと違う。
最後は一人一人に手紙でも渡そうか?とかいろいろ考えていたけど、引っ越しもあり、マニラに上がってからのこともあり、結局それはできなかった。
最後は障害者のデータと写真、分析した資料などをCPにCD-ROMに焼いて渡した。
自分がいなくなってから、どうなるだろうとかいろいろ考えて、いろいろ伝えたいことも出てきたが、最小限にとどめることにした。
資料を残すことも大事だが、彼らには日本人ボランティアが2年ここにいたことで、意識が変わったりすることも大事だと思う。
任地の人たちの意識を変えることはできなくても、彼らの遠い記憶の中に、あんな日本人がここにいたなと思いだしてもらうだけでも、十分自分はヒーロー?(一応女なのでヒロインか?)になれたのではと思う。
学校に通っていた生徒の時だって、先生から習った授業の内容よりも、その先生の心意気とか、考え方をむしろ鮮明に覚えていたりする。
仕事をしていた時もそう。尊敬できる先輩、上司も仕事内容よりも仕事に関する考え方ややり方に感銘を受けた人の方が覚えている。
そういうスタンスでいいのかなと思う。。。
Friday, July 21, 2017
配属先での最終報告
日本に緊急帰国してもどってきたのが5月13日。そこから約3週間。
最終報告書の仕上げ、配属先に提出するデータや資料作成などにずっと追われていた。
そして6月8日にJICA調整員が任地を訪問してくれた。
目的はボランティアの最終報告を聞きにくること。
私はこの日に照準を当ててきた。合間にミニデシピを数回行い、任地を引き上げる準備も進めてきた。
ボスやCPも参加して、その他私の活動に関わっていた人達や関係者が参加した最終報告だった。
そしてなんとメイヤーも最初から最後まで私の報告を聞いてくれていた。これは私も本当にうれしかった。
2年間の活動。
ある意味長い。
最初に障害者のデータを分析した時の発表は最初の挨拶だけだった。そのあと、なかなか活動で話す機会も得られず、地道にCPと活動を続けてきた。
活動をもう少しで終えようとしてる自分としては、もう少し実のある活動をした方がいいのかといろいろ悩んだりもした。
周りの隊員の活動が目立つせいもあって、ちょっと引け目を感じていたのかもしれない。
でも配属先と町が必要としていること、それ自体をやることに意義があるのかなと。
フィリピンタイムで行われた最終報告は開始が遅れ、私の発表は30分。
そのあと、参加者達が私発表内容についていろいろ意見を言い始め、JICA側の出る幕はほぼなしの状態。
問題を投げかける形式のプレゼンにしたから言うまでもないが…
でもこれで一仕事終わった。
Friday, July 14, 2017
同期隊員のデシピ参戦♪
同じ州に2人の男性同期隊員がいる。
彼らがそれぞれ、配属先で送別会をやるというので、
手伝いも兼ねて、参加してきた。
1人は州都カリボ町の隊員で、ちょうど自分の誕生日と送別会を同時に行っていた。
町役場の近くのカンファレンスルームを貸切っての大規模なパーティ。
島内のJOCVの後輩たち、日本からのお友達なども参加してのパーティ。
各グループに分かれて(?)、日本食を作った。
巻きずし、牛丼、餃子、焼きそば、餃子、お好み焼き、フルーツポンチ、コロッケ、ポテトサラダなどなど…
フィリピン人はおかずをご飯と一緒に食べるが、この時はご飯がなかった。そのせいか、料理を出して、スタートした瞬間、あっという間に無くなった。人数も多かったが、フィリピン人たちの勢いには、やはり日本人は面食らう…
もう一人は、任地の隣の町、リバカオ。野菜栽培でいくつかのバランガイで活動しているそうで、送別会の場所は、町の中心部から外れた川沿い。
彼が用意していた日本食の材料で、野外訓練のごとく、外でいろいろ作ってみた。
私はやっぱりポテトサラダが得意なのか、作りやすいのか、ここでも作ってしまった。
暑さとジープの揺れで心身共に疲れていたけど、とりあえず最後ということで頑張ってみた…
次の日は腰痛に見舞われ、その次の日は心身の疲労で12時間以上寝てしまったが…
二人の送別会を見て、自分は配属先に向けて、特にやらないと決めたことに若干の後悔の念もわいてきたけど、自分の状況を考えると企画するのが難しかったなーと改めて実感。
大勢向けにやるより、お世話になった人や日本食に興味を持ってくれた人、そして残さず食べてくれそうな人にやるのが、自分にとって心地よかったので、私はそのやり方を貫いた。
帰国前2か月前に、家族の危篤で緊急一時帰国をしており、一時活動を中断していたし、一時帰
国から任地に戻ってきてから、40日余りで、活動の仕上げと引き揚げ準備をするのが精いっぱいだった。
私の活動の最終目標はデータを作り、分析し、それを配属先と町役場に提出することだった。
下手なデータは提出できない。そういったプレッシャーもあったのかな…といまさらながら思う。
彼らがそれぞれ、配属先で送別会をやるというので、
手伝いも兼ねて、参加してきた。
1人は州都カリボ町の隊員で、ちょうど自分の誕生日と送別会を同時に行っていた。
町役場の近くのカンファレンスルームを貸切っての大規模なパーティ。
島内のJOCVの後輩たち、日本からのお友達なども参加してのパーティ。
各グループに分かれて(?)、日本食を作った。
巻きずし、牛丼、餃子、焼きそば、餃子、お好み焼き、フルーツポンチ、コロッケ、ポテトサラダなどなど…
フィリピン人はおかずをご飯と一緒に食べるが、この時はご飯がなかった。そのせいか、料理を出して、スタートした瞬間、あっという間に無くなった。人数も多かったが、フィリピン人たちの勢いには、やはり日本人は面食らう…
ポテトサラダ。ちょっとピンボケ。
手前左のかぼちゃコロッケとその隣のお好み焼き
もう一人は、任地の隣の町、リバカオ。野菜栽培でいくつかのバランガイで活動しているそうで、送別会の場所は、町の中心部から外れた川沿い。
彼が用意していた日本食の材料で、野外訓練のごとく、外でいろいろ作ってみた。
私はやっぱりポテトサラダが得意なのか、作りやすいのか、ここでも作ってしまった。
暑さとジープの揺れで心身共に疲れていたけど、とりあえず最後ということで頑張ってみた…
次の日は腰痛に見舞われ、その次の日は心身の疲労で12時間以上寝てしまったが…
ガスはなく炭ですべて野外調理
彼の配属先もいろいろ用意してくれた
レチョン(豚の丸焼き)も登場!
二人の送別会を見て、自分は配属先に向けて、特にやらないと決めたことに若干の後悔の念もわいてきたけど、自分の状況を考えると企画するのが難しかったなーと改めて実感。
大勢向けにやるより、お世話になった人や日本食に興味を持ってくれた人、そして残さず食べてくれそうな人にやるのが、自分にとって心地よかったので、私はそのやり方を貫いた。
帰国前2か月前に、家族の危篤で緊急一時帰国をしており、一時活動を中断していたし、一時帰
国から任地に戻ってきてから、40日余りで、活動の仕上げと引き揚げ準備をするのが精いっぱいだった。
私の活動の最終目標はデータを作り、分析し、それを配属先と町役場に提出することだった。
下手なデータは提出できない。そういったプレッシャーもあったのかな…といまさらながら思う。
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