Saturday, August 20, 2016

バランガイ訪問


ボランティアの主な活動、それはバランガイ訪問による障害者へのインタビューと生活実態調査。


ボランティアの要請は障害者データのプロファイリング(データ収集と分析)だった。

それにもとづいて、8月現在まで相当数のバランガイへ赴き、障害者へのインタビューを行ってきた。


そもそも社会開発事務所で障害者に関するデータを管理をしているが、そのデータの正確性については、なんとも言えない。

データ収集したのが2012年。それから変わりがないわけがない。


だから私は上司にバランガイに赴いて、一軒一軒障害者のインタビューをしたい、それを活動のメインにしたいと申し出た。

バランガイにボランティアが赴けば、そのバランガイの様子もわかる。

最初は難色を示していたボスも、オフィスにくる障害者と保存してあるデータの不一致、各バランガイキャプティンからのいろいろな申し出などから、その必要性をなんとくなく理解し始めたようである。

フィリピンという国は日本に比べ、データ集計など細かいところは苦手な気がする。
国民の算数能力なども日本に比べ低い・・・


バランガイに出て感じたこと…

想像以上にタガログ語も英語も通じない。アクラノ語オンリー。

そして、排除されている障害者の発見。

ボランティアに対する寄付品への期待度の高さ…

確かに物で釣っている感は同僚の説明にも垣間見られる。


台風ヨランダ(別名;ハイアン、2013年11月に次上陸)の被災地でもあるから、多くのNGOや外国政府の援助が入っているのも事実。

ほとんどの家は台風で家が全壊、もしくは半壊。だから、屋根だけ、トタンという家にもたくさんであった。


そして台風により身体的精神的にダメージを被った人達は、障害者となったりもしている。

障害者やその家族のニーズも様々である。


訪問すればするほど、いろいろな問題が出てくる。

ボランティア一人では太刀打ちできない問題ばかり…


うーむ、どうしようか・・・・



Saturday, August 13, 2016

任地でようやく見つけたヨガクラス

任地はフィリピンの田舎町。

バンガにはもちん、州都カリボにもヨガクラスはないものだと思っていた。

日本にいたときはヨガスタジオに通って定期的にヨガをしていた。

それがフィリピンに来てからは、自宅で、YouTubeをみながら、やるという環境…

スタジオでやる参加者との一体感や、インストラクターのガイドを生で聞けないのは非常に残念だった。

おまけにこの田舎には、ヨガをやる人もいないし、ヨガマットも売っていない。


暑い気候のせいか、外を走る人はほとんどいない。

もっぱら、生徒たちがダンスの練習をしたり、少年たちがバスケをしているくらいだ。

大人になると運動はしなくなるみたいだ。


田舎にいると確実に筋力、体力が落ち、ぜい肉になる…

食生活もそう。

野菜を食べないフィリピン人。白いご飯と肉を好んで食べる。

そして甘い食べ物、飲み物。

1年のフィリピンの生活で、自分なりに気を付けていても、確実に体に変化は現れていた。

それが前回書いた、腰痛発症。


ドクターにもヨガをやりたいと伝えたら、同じクリニックのドクターがヨガのインストラクターをしていると教えてもらった。


そして腰痛がほぼ完治して、予定が空いた日。


「初ヨガ IN フィリピン」を体験してきた。

場所はクリニックの最上階のホール。吹き抜けになっているところだが、クーラーなどない。

フロアーにマットを敷いて、インストラクターを囲んでヨガをする。

私以外はフィリピン人。

驚いたのは、フィリピン人の参加者達は、水を飲まずにヨガを続けていた。

私だけがウォーターボトルをマットのそばに置いてヨガをしていた。

暑いせいもあって、ペースが速い。

そして、意外に運動量の多いポーズが多い。

英語でのガイドだから、ついていくのには問題はなかった。

でも久しぶりのクラス。

所々、遅れをとったり、できなかったり…

でも体を思いっきり伸ばして気持ちよかった。


腰痛の原因は姿勢や生活スタイルにもある。

1年でだいぶ衰えた体に、また再びカツを入れよう。

そして、やっぱりヨガは気持ちがいい。

元々体が硬いし、今も股関節や足首の関節は硬い。

でも続けることによって柔らかくなった関節や筋肉もある。

やっぱり、いくつになっても運動は大切。。。

熱帯フィリピンでは限られてくるけど、とりあえず、できるところまでやろうと思った。


クラスの終わりはみんなで記念写真。
フィリピンらしい(^^♪

Saturday, August 6, 2016

フィリピン初病院受診~腰痛との闘い~


日本からフィリピンに戻ってきて1週間後、とりあえず、また任地に慣れようとしていたところ、

ある日、腰に痛みを感じるようになった。多少の痛みは筋肉痛の可能性もあるので、あまり重要視していなかったのだが、今回は痛みが違った。

打ち合わせで椅子に座っていると、辛くなってくる。長時間座っていられない。

お尻の奥の筋肉か骨か、腰椎か神経かわかんないけど、痛むようになってきた。

 ストレッチで治るだろうとたかをくくっていましたが、2週間経ってもよくならず、職場にいくと、CPからお金をせびられる(※)という嫌悪感からかストレスが最大限となり、ついに健康管理員に相談した。

※CPはドラ息子が交通事故に遭い、入院中。入院費用や薬代を親族や同僚から調達していたようだ。ボランティアである私もターゲットとなり、合計3回位、頼まれたがすべて断った。

健康管理員と電話で話し、症状から任地の病院を受診するようにとの指示を受ける。

初フィリピンの病院受診。

症状からは腰椎捻挫と言われたが、納得できず、レントゲン撮りたいと伝え、撮った。

レントゲンも日本の病院みたいに丁寧ではなく、スタッフがおしゃべりやメリエンダを食べているところで一人、診察台に乗せられて、撮影するというありさま。

…ありえん…

ちなみに、レントゲン予約をしに行った時には、下剤を飲んで便を出しておくようにという指示…

もちろん健康管理員に確認の元、指示には従いませんでしたが…私の中でフィリピン人の便秘疑惑が浮き彫りになったのは言うまでもない。


レントゲン写真をもって、再びドクターのところへ受診。

レントゲン写真からは骨や椎間板には異常なしと言われ、腰痛ハンドブックを渡され、よく読んでおくようにと言われた。

筋肉弛緩剤の服用のみ言われ、ドクターからは痛みが引いたらエクササイズした方がいいといわれ、水泳を進められた、近場にプールがないのでヨガとかしたいと言ってみた。

その後、毎日腰痛に効くストレッチを続け、だいぶ良くなった。

徐々にコアマッスルを鍛えるトレーニングとかも取り入れつつ…





だけど、病院受診から2週間後、イロイロ市までバス4時間の移動で腰痛再発…

イロイロ市から帰宅後は風邪も発症し、療養。





そしてその1週間後には中間報告でマニラに上がった。

腰に注意しながら、移動し、無事マニラに着いたわけだが、不思議と腰痛が治っていた…

任地ストレスだったようである。


レントゲン写真。データではなくフィルムなのがフィリピンの田舎の病院らしい。


筋肉弛緩剤


日本から持ってきた湿布と、こっちで買ったサロンパス(※久光のではなく、韓国メーカーのものだった)



レントゲン室

フィリピンの病院は日本とだいぶ違う。ドクターごとに部屋があり、直接、ドアの前の秘書に内容を伝える感じ。

Sunday, July 31, 2016

配属先で感じているストレス

赴任して1年が経過した。

日本の会社員時代が長かったから、毎日オフィスに行くのが当たり前と思い、とりあえず毎日月曜から金曜までオフィスに行き続けた。

だが、日本の職場環境とは大きく違う、フィリピンのど田舎の町役場、それも社会開発福祉事務所。

障害者高齢者にやさしい(?)、町役場の入り口入ってすぐ左の事務所。Tの字型のオフィス。

入り口付近はTの横棒、奥は縦棒のイメージだ。

私はその縦棒の奥の席だ。

背後にはPCがあり、ボスの席もある。そして、ボスの席の上にはエアコン。

私の前には、障害者のコンピュータ技術者。

そして斜め前にはトイレ。

私の机は、竹でできたバランスの悪い机。ボランティアが来たから無理やりデコッた感あり。

引き出しにはねずみの糞、そして、引き出しをあけたら実際ねずみに遭遇した過去もある。

机の右側は、窓がある。

役場の窓は雨漏り防止とかそういう基本的な機能にかけているので、大雨が降れば、水がしたたり落ちる。

PC作業もうかうかしてられない。

うっかりすると、PCがダメになる。

そして、甘い食べかすにつられる蟻たちの行進。

ネズミや、トカゲの糞。

ハエや蚊との遭遇。

挙句の果て、同僚らの子供らが、授業を終えてからオフィスに来て、騒ぐ。

PCを開いてゲームをしようとしたり、ぎゃあぎゃあ騒ぐ。

大人たちは子供に甘いのか、PCをいじっている子供を注意することはないし、むしろ、子供をかまう。

子供だけじゃない。

招かざる大人も出入りする。

同僚の旦那が朝と昼と夕方、出入りし、女たちと戯れている。他にも、オフィスに来て騒ぐ、他部署のスタッフもいる。

こういった状況にボスは何も言わない。

なぜならボスも自分の妻や子供がオフィスに来るのを喜んでいる。

新しく買ったスマフォで、溺愛する娘の写真を撮り、Facebookに投稿している。


そして大人たちはボスの席で、現地語でまくしたてて会話を楽しんでいる。

PC作業をしている私には正直うるさい。

だから、必要以上、関わらないし、時としてはイヤフォンをして音楽を聞きながら作業をするしかない。

それでも我慢できなくなったら、PCを閉じて、外に出る。


椅子も机も体に合わない。

だから、赴任して1年、他の要因もあって、腰痛を発症した。


だましだまし、やってきたが、心と体は正直だ。


ストレスは時として体の弱い部分に影響を与える。

それが私の弱っていた腰に直撃…

この後、病院通いをしたのはゆうまでもない。













Sunday, July 24, 2016

NDPR week in Banga

NDPR とは“National Disability Prevention  and Rehabilitation Week”の略である。

毎年フィリピンで7月の第1週ごろに行われる。

町役場、学校、企業等で啓発運動やイベントなどを行っている。

今年は、パレードをして、各セクションから障害者の権利などについてのプレゼンテーションを受けた。

障害者やその家族から専門家への質問や要望などもあり、なかなか活発な感じであった。




ちなみに、この時の私は腰痛発症してからの療養中だったので、おとなしめに参加した。


それにしても障害児・障害者とその家族の多さに驚かされる。





Saturday, July 23, 2016

Aeaw Aeaw (アガウアガウ) in 2015

このタイトルで記事を書こうとずっと思っていたのだが、なかなか考えがまとまらず、半年以上が経った。

そしてようやく最近、自分の中で一つの区切りができたので、ブログに残したいと思う。

Aeaw Aeaw と書いて、「アガウアガウ」と発音する。現地語アクラノ語で、「歓迎」、Welcomeを意味する。

毎年、10月21日、任地Bangaでは、「アガウアガウ」のセレモニーをここ6年ほど行っている。

私も赴任早々、アガウアガウのディレクターや発起人である地元民から声をかけられた。

そもそも、アガウアガウというものは何なのか?

任地バンガ(Banga)は、第2次世界大戦中、日本軍統治時代の1942年10月21日(1943年説もある)に、バンガのロトンダ(町のシンボルで交差点)で住民が300人以上、日本軍に殺された町なのである。

アガウアガウは現地語で「歓迎」という意味で、当時のバンガの住民は日本軍が来るということで歓迎しようとしたらしいのだが、その意に反して虐殺されたとのこと。

唯一の生存者のエドガーさんという方にもお会いした。

虐殺という暗い過去に誰も口を閉ざし、そのまま50年以上が経過し、歴史が忘れ去られそうになったとき、後世に歴史を伝えるということ、日本とフィリピンは友好関係にあるという意味も込めて、6年くらい前から、町を挙げて、毎年10月21日にアガウアガウというイベントを始めたとのことである。

ロトンダでの行進や、当時の様子を生徒たちが劇をしたりしている。

虐殺が行われたロトンダ



生徒達による当時の様子のパフォーマンス



犠牲者の慰霊碑


アガウアガウのフライヤー


私も昨年、アクラン州の他のJICAボランティアと共に日本人として招待され、観覧させてもらった。

終わった後は、周りから感想を求められたが、正直どう答えていいのかわからなかった。なぜなら当時、私は、バンガにいる唯一の日本人ということもあり、歴史をしったことで住民に対する恐怖心が時々芽生えてしまっていたからだ。。

ただ、7月にイロイロ市のNGO LOOBさんの、WWⅡスタディツアーに参加させてもらった際、私は任地バンガのアガウアガウについて発表させてもらう機会をいただいた。

発表のため、改めて聞き取りをしたり、リサーチをしたりして、バンガの歴史を学ぶことができた。

また、当時のバンガを含めたアクラン州の人々の生活、習慣なども知ることができ、今までとは違った視点でバンガとその人々たちを見るきっかけになった。

毎日のように通っているマーケットでは、現地語で挨拶して冗談を言ったり、ジープの運ちゃんからは、遠くから、おーいと声をかけられたり…

フィリピン人は、名前を知らなくても顔見知りでもそうでもなくても、笑顔でにこっと笑ったり…

それは任地バンガも同じである…










Saturday, June 25, 2016

タイ同期隊員のバンガ訪問



二本松市の派遣前訓練で一緒だった、タイに派遣中の作業療法士の隊員Sさん(男性)が任地を訪問してくれた。

訓練所時代はコミュニティ開発の中では一人障害者支援の内容だった私は、医療系や障害者支援関係の職種の隊員からいろいろ教えてもらうことが多かった。

Sさんは訓練所時代から私の要請内容にも興味をもってくれていて、任地にも行ってみたいと言ってくれた方だ。

そして今回6月中旬のとある日、バンガに来てくれた。

Sさんのたっての希望で、バンガの町の訪問リハビリに同行した。

配属先の上司は日本人の男性作業療法士の訪問に大喜びだったし、バランガイの高齢者団体のリーダーを務める私の語学の先生も、作業療法士の話を興味津々に聞いてくれるようだった。

フィリピンは高齢者に対する支援はまだ浅く、怪我や病気を患っても、リハビリで回復を目指せるのは、お金持ちや学歴のある人が多い気がする。

(もちろん、フィリピンの田舎でも元気な高齢者の発言力は強いが…)

結果、田舎の高齢者が動けなくなると、家族や子供が面倒を見るが、リハビリまでには行きつかない。だから、意外に引きこもりや寝たきりも多い。

そんな状況の中、Sさんは計4人の高齢者または障害者に対して、リハビリをしてくれた。

リハビリ指導を受けた患者さんも最初は緊張していた様子だったけど、Sさんの励ましやアドバイス、そして体を張ったリハビリに少しずつ、よい反応を見せてくれるような様子だった。

家族もなんだかうれしそうな様子だった。

私自身は専門職ではないので、リハビリを施したりすることはできないけど、障害の程度などの簡単なチェックの仕方など、教えてもらえた。

Sさんのような人がもっと、バンガに来てくれればいいのになぁなんて…


リハビリを終えた後、みんなで写真撮影


リハビリを実施するSさん



家族も患者さんにリハビリを行ってみる。